「もちろん、大学教育を金銭的な面だけでとらえるのは間違い。しかし、お金の問題として考えることは、分かりやすく具体的であることがメリット」と柴田教授は言う。
学資金や進学にまつわる費用について考えることは、単に家計の問題だけでなく、受験生が自分の志望理由をはっきりさせる過程にもつながる。結果として、教育選択のミスマッチを防ぐことにもなるだろう。聖学院大学は、成功例を作り、他の大学でも取り入れることのできる、ロールモデルになることを目指している。
「学生と一緒に奨学金の返済計画を立てたり、われわれも指導できればと思っている。入学した学生に対して、きちんと見通しを与えなければ、教育機関として責任を果たしたとはいえない。他の大学ではこうした指導について手をつけられないところがほとんどではないでしょうか」(同)。
また、この冊子は、進学を検討している家庭及び学生と、進路指導の高校教員を対象にしているのはもちろんだが、それだけではない。大学から給与を受け取っている、大学教員に対するメッセージでもあるという。
4年間450万円に見合った講義をしているか?
「4年間で450万円、初年次納付金で130万円。進学するご家庭は、大変な思いで学費を納めています。それを理解すれば、いいかげんな講義はできません。教員にも、というより教員にこそ読んでほしいものなのです。『あなたは、4年間450万円に見合った講義をしているのですか?われわれは、それだけの講義を提供しているのですか?』という問いかけです」(同)。
親の経済的格差によって教育の機会に差が出ることは不条理だ。教育費は公費で負担して、無償とするべきという考え方があることも十分理解できる。可能なら、やはり誰もが負担なく教育を受けられることが理想だろう。
ただ、現段階では、「大学進学」という選択肢にこれだけの金銭的負担がかかることが現実。大学をビジネスという観点からみてみると、大学教員という高賃金が必要とされる人材を使った人件費比率の高いモデルであり、これを簡単に減らすことはできない。どのようなレベルの大学でも、学費の下限に大きな差はつかないといえる。
目先の経営を考えれば、地方の小規模大学は、とにかく学生を一人でも多く集める必要があるだろう。ましてや、偏差値として「BF(ボーダーフリー)」に位置していれば、なおさらだ。それでも、450万円という金額、4年間という時間を投資して見合った成果を得られるのかを、学生にも、教師にも、考えて欲しいという。進学について一歩立ち止まって考える機会をうながす情報発信をあえてしていることは、貴重な事例ともいえる。奨学金を受け取る「Fランク」大学の葛藤が、滲み出ていた。
柴田教授には、Fランク大学の存在意義について、大いに語ってもらった。次回は、そのインタビューを掲載する。
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