マセラティはもともと1960年代前半にメルセデス・ベンツやロールスロイスとは一味違った、4ドアの初代クアトロポルテをラインナップしていた。運転手付きで後席に乗る「ショーファードリブン」ではなく、オーナーがみずからステアリングを握ってドライビングを楽しむ「ドライバーズカー」、いわば「4ドアスーパーカー」の元祖だ。
販売台数を大きく伸ばしている
2013年に発表されたクアトロポルテ、ギブリの現行モデル登場以後、マセラティは世界的にも大きく販売台数を伸ばしている。1998年には全世界でたったの629台だったが、2014年には3万6448台へと躍進した。15年で50倍以上の成長だ。ギブリが1000万円を切る戦略価格を打ち出したことが大躍進の大きな要因でもある。これは今までのマセラティではできなかったことの一つだ
その経営母体は創業以来、幾度となく移り変わり、厳しい時期も経てきた。ラグジュアリーなハイパフォーマンスブランドとして復活するきっかけになったのは、1990年代終盤にフェラーリへ傘下入りした後、日本の工業デザイナー奥山清行氏がスタイリングを担当した先代のクアトロポルテの投入である。
先代クアトロポルテは大いに注目されヒット車になったものの、直ちにマセラティの経営状態を健全にするほどのインパクトはなかった。そもそも親会社であるフェラーリは大量生産を得意とするメーカーではなかったから、マセラティが生産台数を増やしても原価が下がらず粗利が取れなかったし、需要に見合うだけの台数を速やかに作ることも難しかった。
そこでさらに行われたのが、2005年にフェラーリ親会社のフィアット直轄となったのをきっかけとした生産・販売面の大きなテコ入れだ。
イタリア・トリノに大量生産を可能とする完成車工場を2拠点設け、マラネッロのフェラーリ社内にはエンジン生産のためのラインを構築し、全世界的な販売網を再構築した。それまでの少量生産メーカーには見合わない巨額投資が実行されたワケをマセラティ経営陣に聞くと、「投資シミュレーションをしてみたら、年間数万台を売らなければ採算が見合わないということから方針を転換した」という。イタリア流のポジティブさにあふれているものの、相当強気な経営戦略だ。
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