2月半ば、この時期には珍しい快晴に恵まれて、今別町に出向いた。目的は、雪景色の奥津軽いまべつ駅舎を撮影すること、そして町内の「荒馬(あらま)の里資料館」を訪れ、同館を管理する嶋中卓爾さんにお話をうかがうことだった。
今別町には、馬をかたどった衣装を身にまとい、「青森ねぶた」に似た囃子に合わせて身を躍らせる「荒馬」という伝統芸能が伝わる。江戸時代初めに生まれた、田植えにまつわる神事だ。青森県の無形民俗文化財に指定され、現在は町中心部の今別地区と、奥津軽いまべつ駅に近い大川平地区を中心に8月上旬、「荒馬まつり」が行われている。「大川平荒馬保存会」の会長を務める嶋中さんは、妻の美由紀さんとともに、雪に埋もれた資料館で出迎えてくれた。
「16年前、立命館大学の学生6人が、京都からふらりとやってきたんです。荒馬を教えてほしい、と。和太鼓サークルのメンバーで、今別地区に荒馬を教えてもらいに行こうと思い立ち、間違えて大川平に着いたという。2日がかりで踊りを教えて、彼らは帰っていった。それっきりになるかと思ったら、次の年も、その次の年もやってきた。町内の施設に寝泊まりして、彼らは毎年、仲間を増やしながら、荒馬を受け継いでくれた」
まつりに200人の「援軍」が
学生たちが大川平にたどり着いた2000年当時、同地区の荒馬は、後継者不足で存亡の瀬戸際にあったという。だが、はるばる京都からやってきた若者たちがバトンを受け取った。前後して、宮城教育大学の学生たちが今別地区を訪れるようになり、荒馬の伝統を受け継いだ。
先輩が後輩を引き連れ、さらには他校にも声を掛けてネットワークが広がり、今では両校のほか立命館アジア太平洋大学(大分県)、名古屋大学、東京都の私学・和光学園の小学校児童と父母など、多くの人々が「荒馬まつり」に加わるようになった。
町の人口2800人に対して、町外からの参加者は約200人といい、人口規模を考えると、途方もない数の“援軍”が駆けつけている計算だ。「地元出身の若者たちも、県外から来る学生たちに勇気づけられて、荒馬を継承してくれるようになった」と嶋中さん。
現在、活動・交流拠点となっている資料館は、元は大川平小学校の校舎だった。嶋中さんは卒業生の1人だ。児童数減少に伴い、大川平小は2004(平成16)年3月に閉校。嶋中さんらは校舎の活用を決め、同年8月に資料館としてオープンさせた。
資料館には、荒馬の歴史に関する資料や衣装に交じって、多くの若者の思い出が詰まった写真や手紙も並んでいる。結婚披露宴で荒馬を演じた様子を収めた写真も。「荒馬が縁で結ばれたカップルが何組もあります。こっちのアルバムに写ってる2人は今、ドイツで花屋さんをしてますよ」。指さす嶋中さんの頬が緩む。年月を経て、子どもを荒馬に連れて来るようになったOBも少なくない。
一方で、10年以上にわたり、バイクでふらりと訪れては、誰と話す訳でもなく滞在し、空と海、山を眺めていく若者もいるという。「ここには何にもないのにね」と嶋中さん夫妻。地元の人には何の変哲もない景色が、まつりを通じて、彼にとってはかけがえのない風景に変わったのかもしれない。きっと、今別町を「古里」と感じる若者が、全国に散らばっているのだろう。
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