三井住友と大和、10年目の協議離婚

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三井住友と大和、10年目の協議離婚

前代未聞の“離婚会見”が10日に行われた。三井住友フィナンシャルグループと大和証券グループ本社は、都内で別々に記者会見を開き、両社出資による合弁事業解消を発表した。三井住友FGは、法人向け業務を行う大和証券SMBCへの出資(40%)をすべて引き揚げ、大和側が完全子会社化する。

大和証券SMBCは、住友銀行傘下の証券会社と大和証券の法人部門が合併し、1999年に設立された。当時、大和には「銀行にのみ込まれかねない」との警戒感もあったが、金融危機の嵐が吹き荒れ、証券会社が相次ぎ破綻、大手の日興も米シティ・グループと提携した。そして大和も独立路線を緩和し、合弁の道を選んだ。

しかし、大和が6割、住友(現・三井住友FG)4割という当初の出資比率は変わらず、この10年間、両社の思惑はすれ違いを続けた。

住友銀行側は将来的に、リテールの大和証券も取り込み、欧米で華々しく活躍する「ユニバーサルバンク」となることを狙っていた。合弁以後、何度も関係強化を打診したが進展は見られず。「2001年に当行がさくら銀行(前身は旧三井銀行と旧太陽神戸銀行)と合併し、住友系企業に加えて、三井系企業まで顧客となる大きなメリットを大和にもたらしたはず」「一緒に日本一の投資銀行を作ろうと言って始まったプロジェクトなのに、関係が進展しない」(三井住友銀行役員)と切歯扼腕していた。

旧住友の文化はアグレッシブな覇権主義。国内銀行業は儲けが薄いため、証券分野を含むノンバンクとの連携で強固な収益基盤を確立し、かつ「世界に打って出る」ことが奥正之頭取の戦略だ。一方、大和グループの鈴木茂晴社長は、社員の「大和ブランド」への思いを大切にし、独自のワーク・ライフ・バランスを展開するなど、社風も大きく違っていた。

三井住友は事態の打開を図る最後のチャンスとして、今年5月、日興コーディアルを買収。これを機に「日興を吸収して野村をしのぐ証券会社になろう」という口説き文句は、いわば大和に対する“最後通牒”。

法人部門を担う大和証券SMBCへの出資比率引き上げ交渉はステップにすぎない。大和にとってリテールだけ残る体制は長続きしない。法人部門の支配権が三井住友に渡ることは、早晩、リテールを含む大和証券グループ本社ごと、三井住友FG傘下に入ることを意味する。大和SMBCをめぐる折衝は、事実上、「三井住友証券になるか、たもとを分かって大和証券として自立して生きるか」のいずれかの選択だった。


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