揺れるスズキ、次代リーダーが52歳で急逝 小野浩孝取締役専務役員が膵臓ガンで急逝
軽自動車大手から世界的な小型車メーカーへ脱皮したスズキ。その成功の立役者が急逝した。「中興の祖」鈴木修会長の後継者でもあっただけに影響は甚大だ。
スズキの津田紘社長は、声を震わせながら遺影に語りかけた。「鈴木修会長と2人で、あなたの“将来 ”を話し合ったことをよく覚えています。しかし、今はもう、それはかなわなくなりました」。
12月12日、スズキの次代のリーダーと目された小野浩孝取締役専務役員が膵臓ガンのため急逝した。享年52歳。16日に浜松市内で営まれた葬儀の弔辞で、津田社長は小野氏を次期社長に考えていたという思いを初めて明らかにした。
あるスズキ幹部は「津田社長があそこまで踏み込んで触れたということは、5年後や10年後ではなくて、1~2年内に社長交代を考えていたということだろう」と話す。
スズキを躍進させた小野氏の手腕と実績
急成長中のインド市場で4輪シェア5割を握り、欧州でも躍進するスズキ。今期の世界生産計画は260万台と日産自動車より約100万台下回るが、今や世界的小型車メーカーであることは確か。そのスズキにとって、致命傷になりかねないアキレス腱。それが、10年以上前から指摘される鈴木会長の後継問題だ。
鈴木会長の社長就任は1978年。会長に就いた2000年以降も戸田昌男社長(07年3月死去)、津田社長とも補佐役に徹し、鈴木会長のワンマン体制は続いた。「スズキは中小企業」と言い放ち、社員と同じ目線で現場を歩き回って指示を出す強烈なリーダーシップは、反面で後継者づくりを難しくさせた。
とはいえ、その鈴木会長も77歳。実際には、ここ数年で急速に後継体制にメドをつけていた。06年3月の本誌取材に対し、鈴木会長は「(後継体制は)津田社長より一回り若い世代が中心。僕亡きあとはその世代で4~5人の合議体になるだろう。毎年の役員人事異動でそういう形に収斂していく」と語った。
実は、スズキはすでに鈴木会長の言葉どおり合議体に移行している。ここで津田社長より一回り若い世代とは、亡くなった小野氏、鈴木会長の長男である鈴木俊宏氏、購買本部長の望月英二氏の3人だ。そして、津田社長の“告白”のように、リーダー役には小野氏が抜擢されるはずだったとみられる。
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