賃金が大きく低下しても、生活費がそれを上回るほど大きく低下すれば我々の生活はむしろ向上する可能性がある。しかし、技術の進歩が多くの労働者の生活を向上させることに向かわず、一部の豊かな人々の消費や蓄財のための技術開発が優先されてしまう恐れがある。
労働者の経済力が低下すれば、その生活品の市場は縮小してしまい、一方で一部の豊かな人々の支出が支える市場は拡大を続ける。企業にとっては、経済力のない多くの人々が必要とするものを供給するよりも、一部の非常に豊かな人達が購入したいと思うものを提供するほうが利益は大きくなる。
所得の格差が著しく拡大した経済では、社会で多くの人が必要としている物やサービスを供給するための技術開発は、経済的には優先度の低いものになってしまい、多くの人達の生活費はそれほど低下しない恐れが大きい。市場に任せておけば社会の抱える問題が解決するというわけにはいかない可能性が高く、アンソニー・アトキンソン氏は著書『21世紀の不平等』の中で、技術進歩の方向性に政府がもっと積極的に関与することを提唱している。
人工知能の発展は人類にとって幸か不幸か
余談になるが、アルファ碁とイ九段は5番勝負の決着が付いたあとも戦ったが、第4局では途中でアルファ碁が突然、疑問手を連発して負けてしまった。まだ人間が機械に勝てるチャンスがあることが証明されたので、安堵した人も多かっただろう。しかし、アルファ碁は今後も強くなり続け、さらなる技術の開発も行われて、人間が人工知能に勝つのはより困難になるだろう。人工知能が人間に勝つことはもうニュースではなくなって、人間が人工知能に勝つことが大ニュースとなる日がやってくる。
社会の抱える様々な問題についても、人工知能が優れた解決策を見つけ出してくれるようになるということは明るい話だ。いずれ人工知能が提示する解決策以上のものを人間が考え出すことはできなくなるだろう。筆者が生きている間にそこまで人工知能が進歩することはないだろうとは思うのだが、それが幸か不幸かよくわからない。
人間にはその意味が理解できなくても、人工知能の指示することに従えば幸福になるという時代が来ると思うと、暗い気分になってしまうのは筆者だけだろうか。
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