イラン暴動から見えた民主主義の弱さと強さ--イアン・ブルマ 米バード大学教授/ジャーナリスト

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見せかけの民主主義でもないよりはマシである

ブートと彼に同調する人々の反応は、自らの正統性を支えるために、“見せかけの民主主義”を利用する独裁主義体制のジレンマを示している。

仮にあなたが、勝ち目がないとわかっている、もしくは、仮に勝利しても最低限の権限しか与えられない選挙に、野党から立候補を求められたら、どう返事をすべきだろうか。出馬に同意すれば、本当は自分が支持していない現体制を正当化することになる。しかし、出馬を断れば、なんの影響力も持てない。

どちらの選択にも正当な根拠がある。不正選挙でも、自分の意見を主張できるチャンスがあるのはよいことだ。一方で、不正な選挙に参加することは屈辱的でもある。

こうした手に負えない状況下で、どう行動すべきかを示す絶対的な基準はない。選挙ごとに、そのメリットに基づいて判断するしかない。

たとえば、前回の選挙では、イラン有権者の85%が投票する価値があると判断したのだから、その判断は尊重されるべきだ。多くの国民は、選択肢は限られていても、改革派の候補者が当選し、自分たちの生活が少しはよくなる可能性を信じていた。これは、97年の大統領選挙で改革派のハタミが70%の票を得た理由でもあった。

大統領在任中、ハタミも、報道の自由、個人の権利、民主的な改革を支持していた。だが、その大半が聖職者によって無効にされてしまった。それに加えて、ブッシュ政権がハタミに見切りをつけたことも、足を引っ張ることになったのだろう。今日のネオコンと同様に、ブッシュ政権の外交政策顧問も、イランの改革派と過激派の違いを理解していなかった。それがハタミの権威をさらに損なった。

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