日銀はマイナス金利で「敗戦」を糊塗している 実態は日本の本質的課題からそれた資産課税
平均寿命が延びてくるなかで、一部の高齢者は必要以上に貯蓄してしまっているということはあるだろう。そういった不安に対処し、社会的厚生を高める手段として年金制度をつくったはずだ。早く死んでしまうと払い損になってしまうが、長生きすれば年金でカバーされるというのが、年金の保険的機能だ。これが機能しているという信頼感があれば、国民はムダな貯蓄はしないで済む。そのための財政再建ができれば、多少なりとも総需要を引き上げる効果はあるだろう。少なくともドイツのように今の財政収支を均衡させることによって、将来必要になる財源のバッファーをつくっておけば、今の現役世代の期待はだいぶ変ってくるはずだ。
しかし、マイナス金利のように金融政策によって曖昧な課税をするのでは、何に使われるのかも分からず、不安になるだけなので、そうした効果は出ない。実際、ここにきて、海外からの要請にかこつけて、再び財政によるバラマキをしようという政治的な動きがある。しかし年金の安定性が確保されれば不安が消える。中国の貯蓄率がものすごく高いのは、まともな年金制度がそもそもないからだといえる。
年金・社会保障制度の改革が本質的テーマ
この問題設定は必ずしも永久的なものではない。今は、これまで増えてきた生産人口がピークアウトし減少に転じているという端境期であり、その結果、生産人口の増加を前提に設計されている社会保障や年金制度が成り立たなくなっている。だから、いま、その修正をするのがもっとも重要なテーマになっている。
しかし、いまの20代、30代が将来の下流老人にならないように、財源を確保するための改革はハードルが高く、国民全員が少しずつ生活をつつましくしていかなければならないという議論になる。それが政治的にはできないので、高い成長目標を掲げて大丈夫だといってしまう。もちろん生産性を少しでもあげることは必要だが、それだけでは解決しない。
年金制度や社会保障制度の改革が本当のテーマだということはわかっているが、政治的に手をつけることが出来ない。国家のシステムというものはいつの時代も変らない。2%の物価上昇率目標に3.5%の名目成長率という高い政策目標を掲げて失敗しても、政府や官僚は失敗を認めるわけにはいかない。戦時中の日本と同じで、本質から外れた無理な政策がますます進められていくことになる。そうしないと、政府と官僚は責任逃れができないからだ。
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