共生経済が始まる 世界恐慌を生き抜く道 内橋克人 著~「連帯・参加・協同」を原理に持続可能な社会への展望を説く
現場で汗を流して働く人間に対する敬意。ジャーナリスト出身の経済評論家・内橋克人氏の原点である。技術のすばらしさよりも、技術者の人間的な個性を描いて注目を浴びた『匠の時代』以来、内橋氏は一貫して人間を主人公とする経済こそが本当の経済だと主張してきた。そんな内橋氏にとって、冷戦終焉後の「とにかく市場にすべてを任せろ」(『悪夢のサイクル』)という規制緩和や民営化の流れは悪夢だったに違いない。
それでも、内橋氏は怯(ひる)まずに「90年代の初めから……市場原理主義への異議申し立てを持続し」(本書)、人々に果てしない競争を強いる新自由主義的な改革に対し『もう一つの日本は可能だ』と反論を重ねてきた。その結晶がポスト新自由主義の「あるべき未来……ありうる未来像として」内橋氏が本書で提言する共生経済である。
「F(食糧)、E(エネルギー)、C(ケア=広い意味での人間関係)の自給圏の形成」は、その未来像の一つにほかならない。市場原理に従うなら、地域内で自給するより海外(地域外)から買うほうが安ければ「作る」のではなく、「買う」ほうが合理的だ。しかし逆に、内橋氏は地域で「作る」ことができるのに、なぜ現に働いている人から仕事を奪い、人間関係を壊してまで、「人間が生きていくうえで欠かすことのできない『基本的生存権』」の自給を放棄するのかと問いただす。
内橋氏が自給に固執するのは、その先に持続可能な社会への展望があるからだ。外から買わずに、内で「作る」ことによって「資源の循環だけでなく、新たな資源価値を創成する、という同一の使命を共有」する共同体が地域に生まれ、そのネットワークが全国に広がれば日本の社会も「分断・対立・競争」を原理とする競争型から、北欧諸国のように「連帯・参加・協同」を原理とする共生型へと転換していく可能性があるという。
内橋氏は14年前の著書(『共生の大地』)において、資本主義でも社会主義でもない「一人は万人のために、万人は一人のために」の「協同の思想」が1844年にイギリスで誕生していたと指摘し、その思想を実践に移す運動に共生経済の萌芽を見いだしていた。その意味で、共生経済は「企業の追求する私的利益と、市民社会の公的利益との乖離が大きくなればなるほど、“もう一つの経済”の可能性に向けて多くの試みがなされる」(同上)ことを見抜いていた内橋氏の長年にわたる持論であり、「グローバライゼーション(世界市場化)」のなかでも色褪せずに、育てられてきた「もう一つの日本」なのである。
うちはし・かつと
経済評論家。1932年生まれ。新聞記者を経る。著書に『新版 悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』(文春文庫)、『城山三郎 命の旅』(共編、講談社)、『もうひとつの日本は可能だ』(文春文庫)、『「節度の経済学」の時代 階層化社会に抗して』(朝日文庫)等。
朝日新聞出版 1575円 247ページ
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