JR中央線の「終電時刻」は、どうして遅いのか 昔はもっと遅かった「深夜の足」の意外な歴史
中央線の終電時刻はなぜ遅いのか。JR東日本八王子支社によると「特に遅くできる理由があるわけではなく、ご利用されるお客様が多いため」という。確かに、同じ時間まで走っている路線が他にもあることを考えれば、もっともな理由だ。
では、中央線が遅くまで走るようになったのはいつからなのだろうか。
中央線の開業は明治時代にさかのぼるが、現在のように東京~高尾間で電車の運転が始まったのは1930(昭和5)年の12月20日からだ。
いまから81年前、1934(昭和9)年12月の時刻表を見てみると、浅川(現在の高尾)行き最終電車の新宿発は午後11時50分で、浅川着は午前0時49分だ。現在の高尾行き最終電車は新宿を午前0時41分に発車し、高尾には午前1時37分に着く。
さすがに80年前の終電時刻は今よりも早かった……と思いきや、近距離の電車はもっと遅くまで走っている。立川行きは新宿発午前0時52分(立川着1時30分)、三鷹行きは午前1時8分(三鷹着1時30分)、中野行きはなんと午前1時27分(中野着1時34分)まである。現在だと、立川への終電は新宿発午前0時41分、三鷹、中野へは午前1時1分が最終だ。近距離でいえば、戦前のほうが遅かったことになる。
戦前の終電のほうが遅かった
中央線に限らず、戦前の電車は現在よりも終電の時刻が遅いケースが見られた。例えば1940(昭和15)年10月の時刻表によると、山手線の最終電車が終点の品川に到着するのは午前1時49分。現在、この時間まで走っている電車は夜行列車を除けば日本全国どこにも存在しない。
ちなみに現在のダイヤでは、内回りの終電が品川に着くのは午前1時19分で、75年前は今より30分遅くまで走っていたことになる。今もこの時間まで走っていれば……とも思えるが、当時は他の交通機関が未発達だったこともあるだろう。
戦前から遅くまで走っていた中央線といえども、さすがに戦時中は終電の時間も早くなり、終戦直前の1945(昭和20)年6月25日のダイヤ改正を報じる新聞記事によると、浅川行きの最終電車は東京駅発午後9時59分、中野行きも午後11時と大幅に繰り上げられている。
だが、戦後は再び遅くまで電車が走るようになる。今から60年前、1955(昭和30)年11月の時刻表では、浅川行き最終の新宿発は午前0時26分、三鷹行きは午前0時57分。現在の「中央特快」の前身、「特別快速」が走り始めた1967(昭和42)年7月のダイヤでは、高尾行きの終電は新宿発午前0時34分(高尾着1時33分)、三鷹行きは午前0時57分(三鷹着1時19分)となっており、ほとんど現在の時刻と変わらない。
結局のところ、中央線の終電時刻はなぜ遅い?と問われれば「昔から遅くまで走っていたから」ということになるだろうか。
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