そういうことをしているのは、過去に宗教的な信念を示すような実績がある指導者ばかりではない。福音派の牧師とともに祈ることの喜びを発見したドナルド・トランプであれ、ヒンズー教の寺院で礼拝するナレンドラ・モディであれ、仏教寺院の再建を支援した習近平であれ、宗教的な教育改革を主導するベンヤミン・ネタニヤフであれ、それまでは敬虔な信者だとはまったく思われていなかった指導者たちだ。
職責の重さゆえに、精神生活の神秘さに対して謙虚な気持ちを抱くようになったということなのかもしれない。あるいは、そうではないのかもしれない。
教会の礼拝者数と投票率の関係
政治家が宗教に助けを求める理由はいくつもある。多くの市民が宗教指導者の説教を聞いて、投票に行くかどうかや、どの候補者に投票するかを決めているという事実が理由になっていることもある。
実際、教会の礼拝者数と投票率のあいだに正の相関があることはデータにはっきりと示されている。あるいは、政治指導者が自分を誠実に見せたり、道徳的に高潔に見せたりする手段として宗教を利用していることもある。もっと巧妙な助力を受けることもある。宗教指導者は犠牲や喪失の意味を説くことに長けていることが多い。
一方、政治家は国民に苦境を受け入れてもらうのに苦労するのが常だ。そこでそれを宗教の言葉で表現してもらうことで、国民に受け入れてもらいやすくしようとすることがある。
動機が何であるにせよ、宗教と政治が結びつくことには、多大なリスクが伴う。宗教の組織は目に見える形であれ、見えない形であれ、政治家を支援すれば、その見返りに、政治家の庇護を受けられ、特権を与えてもらえる。
例えば、中世ヨーロッパのキリスト教会は政治的な影響力を確立したことで、莫大な物的資源を獲得した。750年の時点で、西ヨーロッパの全農地の約3分の1がキリスト教会の所有になっていたと推定される。
その大半は、敬虔さの証しになる寄付をすれば、死後の運命にいい影響があると期待した裕福な信者から、寄付されたり、遺贈されたりしたものだった。同じ時代にはアジア各地のヒンズー教や仏教、イスラム教の寺院でも似たようなことが行われていた。


















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