例えば、殺人などという非日常的な出来事は、実際に体験してしまえば、その時点で“アウト”です。ただし小説であれば、殺人という極限の状況で生じる葛藤や心理を、代理経験として体験することができるのです。
有名なドストエフスキーの『罪と罰』では、超人思想に取りつかれた主人公の大学生ラスコーリニコフが、高利貸しを経営する老婆を殺害します。
社会の害悪である高利貸しを、非凡人で道徳に縛られない存在である自分が殺しても罪も問われないどころか、社会のためになる。一方的ではありますが、それなりに完結した論理からの行動でした。
ところが、意外にもラスコーリニコフは、論理を越えた罪悪感にさいなまれます。
殺人という極限の状態に置かれた人間の心理と葛藤は、それを実際に体験してしまった時点で人生が終わってしまいます。しかし、読書による代理経験ならばそれが可能になるのです。
しかもドストエフスキーのような大才の作品だからこそ、そのリアリティはすでに小説の域を超えた迫真のものとなり得るのです。
小説で味わう「非日常」
このような極端な非日常的な状況はもちろん、日常的ではあっても自分がなかなか体験できない分野まで、小説を通じてさまざまな人生を生きることが可能になります。
ショーペンハウエルは「読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けていけば、仮借することなく他人の思想が我々の頭脳に流れこんでくる」(『読書について 他二篇』(岩波文庫))と言っています。
私たち個々人は、その持ち時間も能力も経験できることも限られていますが、読書によって代理経験を増やすことで、その限界を超えることができるわけです。それが自分時間を増やし、創造時間を増やすことにつながるのです。
広く教養を深めるためには、興味のある分野のセミナーや勉強会、読書会などに参加するという手もあります。勉強会などでは、テーマについて学ぶことはもちろんのこと、そこに参加している人たちと知り合い、交流を持つきっかけが得られることもあります。
興味や関心が近い人が集まっているため、打ち解けるのも早いでしょうし、結びつきも強くなるはずです。それが大きな刺激や励ましになり、さらに勉強したり、体験を重ねるきっかけにすることができるでしょう。


















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