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同じ年には、東鉄線の複線電化が一段落したのに合わせて、大埔の駅(大埔墟駅)も旧市街地寄りの駅舎から現在の位置へと移転した。駅前にはバスターミナルや商店街が整備され、その海側に火災のあった宏福苑を含む高層公営住宅群「廣福邨」が開かれた。
鉄道の複線電化・駅の移転・団地の完成が同じ年に重なったことで、「都心と直結した郊外ニュータウンで暮らす」という香港市民の生活像が、一気に現実のものとなったのである。
ちなみに、現在の大埔墟駅に降り立つと、「墟=マーケット」という駅名と、バスターミナルとショッピングモールが広がる駅前風景とのあいだに、どこかちぐはぐな印象を受ける。だが、駅名の由来となった「大埔墟」は、現在、鉄路博物館となっている旧駅舎周辺の一帯に残るマーケット街を指す。
電化10年後には12両編成に
今は片側5ドア・ロングシートの電車が走る同線だが、電化当時に導入されたのはイギリス・メトロキャメル(Metro Cammell)社製の先頭部が黄色い片側3ドアの電車で、車内はクロスシートだった。
筆者は電化完成後ほどなくして、この電車で紅磡駅から羅湖駅を目指したことがある。その当時、沿線のあちこちにひょろっと建つ高層アパートを見て、「地震がないからこんな建て方ができるのか」と感心したことを思い出す。
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