《馬のお尻》愛し続けて30年…気づけば競馬記者に 「理想の名尻は筋肉がハート型」と語る彼女、偏愛高じて身についた"勝ち馬見立てる観察眼"
志賀さんは「周りに馬尻フェチだと言われてようやく気がつきました」と笑うが、なぜ彼女は競馬記者の道に進み、馬のお尻に全力で情熱を注ぐようになったのだろうか。そして、その偏愛は仕事や人生をどのように変えたのだろうか。
幼少期から場外馬券場へ。競馬場のアルバイトも始め…
競馬との出合いは、幼少期にさかのぼる。東京の台東区浅草に住んでいた志賀さんは、小さな頃から父に連れられ「ウインズ浅草」(場外勝馬投票券発売所)によく出かけていた。レースで疾走する競走馬は力強く、幼心にかっこいいと思っていた。とくに記憶に残っているのが、1983年の日本ダービーを制したミスターシービーだ。後方からものすごい勢いで追い上げ、全馬をごぼう抜きする姿を見た12歳の志賀さんは「かっちょいいなあ」と感動したという。
大学生になると、学費を稼ぐために競馬場でアルバイトを始めた。レース前の馬を見て回る厩舎監視員や、獣医師の補助をする仕事だ。そのなかで公正かつ円滑な競馬を開催するための厳格な運営方法や、強い馬づくりのための育成技術などに触れ、「なんてすごいんだ」と強い関心を持った。もともとの馬好きに拍車がかかり、将来は競馬関係の仕事に就きたいと思うようになる。ただし、この頃はまだ特別に“お尻”が気になるわけではなかった。
当初の目標は実況アナウンサーになること。ところが当時は女性を採用している会社が見つからず、あえなく断念。24歳で教育専門の出版社に入り、受験雑誌の取材や執筆を担当した。それから3年がたったある日のこと。他社で活躍していた先輩に誘われ、フリーランスの記者として競馬関連のムック本制作に携わるようになった。
夢だった競馬関連の仕事である。しかし志賀さんは現状に満足することなく、フリーランスの身軽さを生かし次の行動を起こしていた。すでに目標は実況アナウンサーから競馬記者に切り替わっていたのだ。



















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