東武東上線「最初の要衝」成増駅長が語る日常風景 池袋から急行で1駅、普通はほぼ「成増止まり」

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その後、野田車掌区で乗務員となり、2001年に新柏駅の助役に。さらに柏駅の助役に移り、次いで野田車掌区でも助役を務めた。08年から9年間の本社勤務ののち、戻った現場は野田市駅の駅長だった。

つまり中村副管区長、鉄道員人生のほとんどを野田線沿線で過ごしてきたというわけだ。

「ですから東上線、ほとんど縁がなかったんですよね。というか、東武の路線自体、入社するまであまり乗ったことがありませんでした。京急線沿線の糀谷に住んでいた小学生の頃、修学旅行で日光に行ったくらいでしょうか」(中村副管区長)

下赤塚駅そばの踏切の建物は現在、駅舎としては使われておらず通路と靴修理店がある(撮影:鼠入昌史)
【写真】下赤塚駅の“北口駅舎”が完成した1960年代の様子と現在を見比べる

東武には「縁がなかった」

中学生になった頃からは茨城県で過ごした中村駅長。日常的に東武の路線に乗る機会は持たなかった。ただ、鉄道が好きだったということもあって就職時にいくつかの鉄道会社が候補に挙がる。

「そのときは国鉄がJRに変わるころで採用がなく、高校の求人票には東武とメトロ(営団)と小田急。たぶん受からないぞと言われたんですが、受けてみたら受かったんです(笑)」(中村駅長)

入社時から20年にわたって野田線を職場にしてきた。柏駅で助役を務めていた05年には流山おおたかの森駅が開業した。その後、08年に本社営業部管理課に異動している。

「17年4月に野田市駅長になって高架化工事に伴う仮設の駅舎への引っ越しを経験しました。古い駅舎からプレハブの駅舎に……。隣の愛宕駅でも引っ越しがあったのでそれで大わらわでしたね」(中村駅長)

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