高市総裁が仕掛けた首班指名「多数派工作」の全内幕、何が国民民主・玉木代表との明暗を分けたのか

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国民民主党は榛葉賀津也幹事長を介して、高市氏の後見人を自任する自民党の麻生太郎副総裁と接触。自民党との連携への方策を探っていた。

一方、立憲民主党の安住淳幹事長はほかの野党に首班指名での連携を呼びかけ、「野田佳彦代表にこだわらない」と明言。8日には、国民民主党の榛葉幹事長に「玉木代表も有力な候補」と伝えた。

安住淳
立憲民主党の安住淳幹事長は首班指名について「野田佳彦代表にこだわらない」と明言(写真:時事)

衆院で148議席の立憲民主党と27議席の国民民主党を合わせれば175議席だが、維新の35議席を加えれば210議席で、過半数まで23議席となる。これに10日に連立を離脱した公明党を加えると、野党連合は234議席となり、かろうじて衆議院で過半数を制することになる。

一方で、国民民主党が自民党と組めば223議席となり、維新を加えると258議席で過半数を制する。これでキャスティングボートを握ったと思ったのだろう。玉木氏はさっそく10日にX(旧ツイッター)に「総理大臣になる覚悟はある」と書き込んだが、最終的に大きなムーブメントにはならなかった。

首班指名に邁進する高市氏の「あの手この手」

1993年8月に成立した細川護熙政権や1994年6月に成立した村山富市政権など、少数政党が首相を輩出した例がないわけではない。前者は政治改革ブームに乗って生まれた時代の寵児であり、後者は政権奪還のためにクリーンな顔を求めた自民党からの一本釣りで誕生した。

羽田孜政権から村山政権への移行には、一方に小沢一郎氏、もう一方に竹下登氏や野中広務氏(いずれも故人)、亀井静香氏など自民党の強面の面々や、「バルカン政治家」の異名を持つ新党さきがけの武村正義氏(故人)がいた。亀井氏は当時、赤坂の料亭を借り切って社会党の幹部らと一晩かけて密談。その翌日に村山政権が成立した。

当時のようなダイナミックな政治劇はもはや見ることができないが、高市氏の「首相になりたい」という圧倒的な熱量だけは感じられる。

高市氏は14日に都内で開かれたスタートアップに関するイベントで講演し、「首相指名選挙の瞬間まで、ぎりぎりまであらゆる手を尽くす。絶対になってやると思っている」と、固い決意を述べている。「決意」を口にするだけで、どちらかの神輿(みこし)に乗せてもらえるのを待つ玉木氏とは違うのだ。

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