タイパ重視の時代に必要な変化とは…ターザン山本が提唱する、令和の"プロレス道場"のあるべき姿

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ある時、髙田延彦選手が新人の若手とスパーリングをしていた。アームロックなどを極めていたと思う。

何かの拍子で2人が会話した。新人選手はついポロっと「わかっていますよ」というような言い方をした。反抗心から出た言葉ではない。彼からすると自然なことだったかも。

だがその瞬間、髙田選手がキレた。いきなり立ち上がるとその足で若手を思い切り蹴った。容赦しなかった。ものすごい形相。これにはさすがの藤原選手、前田(日明)選手も「髙田、やめとけ!」とは言えなかった。傍観するしかなかった。かつての新日本道場の空気がそこにはあったのだ。

新日本道場からUWF道場に移った「聖地」

あれからおよそ40年の時が流れている。プロレス道場で最も輝いていたのは、私的には第一次UWF時代のあの道場だったという思いが強い。

今、果たしてあの場所はどうなっているのだろうか? できればそっと行ってみたいという気持ちにかられている。倉庫はあのままなのだろうか? それとももはや何もないのか? 今でもあの風景が目に焼きついている。

77年からの私の長いプロレス記者生活を通して、我が青春の足跡、聖地は、アントニオ猪木の新日本道場から、UWF道場となったのだ。

だからといってUWFに輝かしい未来が約束されていたわけではない。むしろ現実はお先真っ暗だったといってもよかった。それでも、何かを無条件に信じていた自分がそこにいた。UWFとはそういう見果てぬ夢が勝手に独り歩きして巨大化していったところがあった。

精神とはそういうものかもしれない。当時、道場論をより強化するため、骨法の創始師範、堀辺正史氏と対談を重ねた。道場論と武道。または武士道精神を合体させるためだ。そこから修行という概念も出てくる。

道場は自分自身と真正面から向き合う場でもあるのだ。正直、私は頭がどうかしていたのかも。UWFに入れ込んでいた。完全にはまっていた。のめり込んでいた。

その後、第一次UWFは崩壊。新日本へ合流。その新日本との対決はファンを興奮させた。

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