「山の茶屋が消えていく…」 上皇陛下が訪れた老舗も直面する、"登山者の砦"の構造疲労

近年、山の茶屋の廃業が相次いでいる。登山者の貴重な休息場所、悪天候時の避難場所として山の安全に大きな役割を果たしてきたが、物資運搬のコスト、店主の高齢化などによって営業を断念せざるをえないケースが増えているからだ。
しかし、厳しい環境にあっても茶屋を守り抜こうと奮闘している店主は少なくない。そもそも茶屋はどのような経緯で山に店を構えているのか。営業を続けるには、どんな苦労があるのか。
かつて上皇陛下も訪れた金太郎伝説で知られる神奈川県・静岡県境の金時山(標高1212メートル)山頂の金時茶屋、世界で最も登山客が多い高尾山エリア近くの神奈川県・東京都境の陣馬山(同855メートル)山頂の信玄茶屋の2人の店主を取材した。
上皇陛下が訪れた老舗茶屋は代替わり
「あなた様が金時娘さんですか?」
1950(昭和25)年11月。金時茶屋の先代店主・小見山妙子さんは、登山で訪れた皇太子時代の上皇陛下にお言葉を掛けられ、同行した記者たちが一斉に報じたことから「日本で最も有名な茶屋娘」と呼ばれるようになった。
その妙子さんも今年2月に92歳で鬼籍に入り、現在は息子の鈴木秀峰さん(59歳)が茶屋を引き継いでいる。

「大正年間に山頂の猪鼻神社の祠を守っていた巫女の曾祖母が参拝者にお茶を出し始めたのがはじまりだと聞いています。その後、新田次郎の小説『強力伝』のモデルになった祖父の正が小屋を建て、母の妙子が茶屋を守り続けてきました」(鈴木さん)
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