「山の茶屋が消えていく…」 上皇陛下が訪れた老舗も直面する、"登山者の砦"の構造疲労
また、近年は新たな気がかりもある。鈴木さん自身の体調がすぐれないのだ。
「今年の初めに店で倒れてしまい、検査をしたらがんでした。手術はうまくいったけど、かなり痩せたし、体調は万全じゃない。それまでは、ほぼ毎日店を開けていたけど、今は常連さんや仲間に手伝ってもらいながら土日祝日だけ営業をしています」(鈴木さん)

それでも茶屋を守り抜こうとする鈴木さんの覚悟に変わりはない。
「こんな小さな茶屋でも100年以上やってきたからね。祖父の小見山正は200キロの資材を背負い上げた“強力のコミさん”として知られ、母の妙子は“金時娘”として皆さんに愛され、上皇陛下や皇族の方々、長嶋茂雄さん、中山美穂さんら数多くの著名人も訪れてくれました。
祖父や母に比べたら私はただの凡人だけど、名物のなめこ汁やおしるこを楽しみにしているお客さんは多いし、『おいしかった』『また来るよ』って言ってもらえると、こっちも元気になるからね。体が動く限りは、営業を続けます。でも、いずれは子どもたちに今後のことを相談しなければならないかな」(鈴木さん)
公設の避難小屋がルーツ、一時は茶屋が乱立
金時茶屋の鈴木さんと同じく、親から受け継いだ茶屋を守り続ける店主は他にもいる。高尾山エリアにある陣馬山の信玄茶屋店主・小池栄一郎さん(77歳)もその一人だ。
1954(昭和29)年に神奈川県藤野町(現在の相模原市)が設置した登山者の避難小屋を改装する形で、1956(昭和31)年から営業を始め、来年で70年を迎える。

「当時は登山者のマナーが非常に悪く、頻繁に避難小屋が荒らされたので、茶屋にして管理する人を置くことになり、母のトキが手を挙げたと聞いています。私の父は事故で若くして亡くなり、母は女手一つで子育てしていたので、町は寡婦の助けにもなると思って任せてくれたようです。当初は薪で湯を沸かしてお茶を出すだけでしたが、次第に蕎麦やうどん、ジュースなども販売するようになりました」(小池さん)
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