「電車で私の隣だけ空席に…」在日外国人が長年傷つき、時に笑い飛ばしてきた"空気"の正体

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2004年に来日し、執筆活動を続けてきた筆者(写真:筆者提供)

電車のドアが開き、乗客たちが一斉に乗り込み、あっという間にすべての席が埋まった。

いや、ほとんどすべての席だ。

よくあることだが、私の隣の空席は、まるで規制線が張られた犯罪現場のように、誰も座ろうとしない。私は人々の視線と、その空席そのものの両方を無視しようとした。しかし、ちょうどその時、4歳か5歳くらいの小さな女の子がその席を見つけ、無邪気で嬉しそうな顔をして駆け寄ってきた。

そして彼女が座ろうとした瞬間、母親が「ダメ!」と注意しながら、彼女を引っ張り戻した。少女は周囲を見回したが、危険なものは何も見当たらなかった。私と目が合うまでは…。

そのとき彼女が聞いた言葉は、心に残ったのだろう。最後に肩越しに私をちらりと見たとき、何かがわかったという表情が浮かんでいた。彼女はもう二度と、外国人の隣に座ることはないだろうし、その理由を問うことさえしないかもしれない。

この現象を外国人はどう呼称する?

あまりにも頻繁に—電車、バス、カフェ、待合室、あるいは共用の場所ならどこでも—"目立つ外国人”の隣の席は空いたままだ。日本では、この現象のバリエーションがあまりにも頻繁に起こるため、外国人はそれに名前をつけた。

2004年に私が来日し、このことに気づき始めたとき、私は周囲の人に尋ねて「ガイジンシート」や「ガイジンバブル」といった言葉を知った。しかし、2008年にこのことについて書き始めたとき、私はそれらの言葉を捨てることにした。

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