イスラエルのガザ地区攻撃、ロシアのウクライナ侵攻「ジェノサイドを伴う現代の紛争」の自己正当化を図る犠牲者意識ナショナリズム
犠牲者意識ナショナリズムは記憶の領域にとどまるものではなく、現代の紛争における武器として積極的に使われる。たとえばガザ戦争では、イスラエルの軍事行動を正当化するためにホロコーストの記憶が喚起される。そこでは「ネバー・アゲイン(二度と繰り返すな)」という普遍的なスローガンが、「ネバー・アゲイン・フォー・アス(我々の身に二度と繰り返すな)」というナショナリスティックなものへと転換される。
同時に多くのハマス支持者たちは自分たちの犠牲者ナラティブを展開する。アルジェリア独立運動で指導的役割を果たしたポストコロニアル思想家フランツ・ファノンを引き合いに、2023年10月のハマスによる攻撃は強圧的な占領に対する避け難い反応だったというのだ。ファノン自身は否定したであろう解釈である。こうした過去の武器化は、ウクライナ侵略の中核でもある。ウラジーミル・プーチンは、ロシアが「西欧ブロック」の犠牲になっているというナラティブを通じて侵略を正当化している。
犠牲者意識ナショナリズムの根本的な危険性
こうした理由から、犠牲者意識ナショナリズムは地球規模の記憶空間において受け入れがたい。ガザ戦争は、ホロコーストの最も邪悪な教訓を悲劇的な形で思い起こさせた。すなわち、そのような残虐行為は自らに対して二度と加えられないが、無辜である自分たちは加害者になりうる、ということである。犠牲者意識ナショナリズムの根本的な危険性は、異なる歴史的状況の下では自分たちも加害者になりうるという可能性を歴史的な犠牲者とその子孫が認識できないようにしてしまうことにある。自省なき道徳的独善ほど危険なものはない。
「未来は既知だが、過去は予測不可能だ。なぜなら常に変化しているから」という旧ソ連のジョークがあった。このブラックユーモアは、犠牲者意識ナショナリズムを定義する深遠なる真理をも解き明かしている。過去は固定された記録などではなく、争われるナラティブであり、現在に奉仕するため再構築され続けている。ゆえに我々が築く未来は、我々が「いま」を構築するために選択した過去に完全に依存する。我々は、自分が生まれる以前に起きた出来事には責任を負っていない。だが、それらの出来事がいかに記憶されるかについては説明する責任がある。なぜなら我々こそが、その記憶の設計者だからである。
https://cupblog.org/2025/09/23/jie-hyun-lim-on-victimhood-nationalism/
『犠牲者ナショナリズム』英語版の書籍紹介
https://cup.columbia.edu/book/victimhood-nationalism/9780231561396/
(澤田克己訳)
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