イスラエルのガザ地区攻撃、ロシアのウクライナ侵攻「ジェノサイドを伴う現代の紛争」の自己正当化を図る犠牲者意識ナショナリズム

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この絡み合いは二国間関係に限定されるものではない。たとえばホロコーストの記憶は、日本人や韓国人、その他あらゆる犠牲者意識ナショナリズムを唱える人々によって取り込まれてきた。その結果、複雑な「地球規模の記憶空間」が生じることとなった。そこでは、ホロコーストと広島・長崎の原爆、3つの大陸(アフリカ、アジア、ラテンアメリカ)でのジェノサイド、大西洋奴隷貿易、スターリン体制下の政治的ジェノサイド、日本軍慰安婦に関わる犠牲者の記憶が絡み合ってきたのである。

こうした国境を超える記憶の枠組みが、犠牲者意識ナショナリズムの知的基盤となっている。その中核には、脱歴史化と過剰歴史化という、相反するようでいて実際には相互に強め合う2つのプロセスによって突き動かされる強力なエンジンがある。脱歴史化とは、加害国が自らの過去を浄化し、戦時のトラウマを罪なき苦難の証で再構築する過程である。たとえばドイツは、連合国による空襲や戦後に東欧から追放されたドイツ系住民の記憶を利用して自国民を犠牲者として描き出した。同様に日本も、広島と長崎を特異な人類的悲劇と位置づけることが多く、これは帝国日本による戦争犯罪を覆い隠すのに便利なナラティブとなっている。

犠牲者国家による記憶の武器化

一方で過剰歴史化は、犠牲者国家による記憶の武器化である。このプロセスは「集合的無罪」という固定観念を打ち立てる。犠牲者としての当該国家の地位は絶対的なものであり、その構成員が加害者になることなどありえないという信念である。

この論理は、たとえば1941年にポーランドのイェドヴァブネでユダヤ人の隣人たちを殺害したポーランド人加害者たちを免罪するために用いられた。それはまた、日本軍の軍人・軍属としてBC級戦犯となった植民地時代の朝鮮人にも適用される。連合軍捕虜に対する彼らの加虐行為は、犠牲者国家であるという韓国の大ナラティブによって覆い隠されがちである。「集合的無罪」というマントは、個々の加害者を見えなくさせ、犠牲者国家の一員であるという理由で彼らを免罪する。結局のところ犠牲者意識ナショナリズムは、集合的有罪と集合的無罪というナショナリスティックな二項対立に歴史を落とし込むことによって苦難のゼロサムゲームを作り出しているのである。

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