「ネトフリに憧れるのはやめましょう」 WBCを逃した日本のテレビ業界が今こそやるべき《過去との決別》

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これは、このところの主要選挙で「オールドメディア」の影響力が後退し、「SNS選挙」と呼ばれるようになった状況と似ている。これまで少数派だった若い層のネット中心のライフスタイルが、地上波テレビの存在感をますます社会の隅に押しやっている流れが、野球の世界にも波及したのだと思われる。

WBCIとNetflixの思惑が一致したとして、日本のメディア業界、とくにテレビ局は、これからも世界の潮流を前に指をくわえて見ているしかないのだろうか。

大谷に甘え続けてきた日本のテレビ局

そもそも、日本のテレビ局は大谷に甘えていなかったか。まずその点を指摘しておきたい。

2023年のWBC以降、不思議なことが起きていた。大谷は遠くアメリカで活躍する選手なのに、その活躍を地上波テレビで見ない日はほとんどなかった。なぜか、ニュース番組のスポーツコーナーで最初に紹介されるのは、大谷のその日の成績だった。

ホームランを打ったならわかるが、二塁打を打ったとか、果ては三振だったことさえニュースやワイドショーで紹介される。NHKでさえ、ニュースの中で「今日の大谷」を紹介する。いくらなんでも異常ではないか。

理由は明快で、大谷を報じると視聴率が上がるからだ。高齢の、とくに女性の視聴が、視聴率全体を左右する。人数が多く、テレビをよく見るからで、それゆえ各局とも大谷をフィーチャーする。

大谷にテレビ局は頼ってきた。そこには、慢心があったのではないか。2026年のWBCでも、われらが大谷くんがまた大活躍してくれる。そのためにも、毎日大谷を応援する――。そんな安易な気分だったのではないだろうか。

そもそも2010年代までのWBCの視聴率はさほど高くなかった。2023年に大谷の大活躍で優勝したから42%超の高視聴率を獲得し、中高年女性の「推し活」対象に大谷を押し上げた。2023年の盛り上がりが突出していただけで、WBCが日本人にとって大切なイベントだというのは幻想かもしれない。

NetflixにWBCを奪われたのは、日本のテレビ局がそんな幻想に浸って、来年に向けた動きにアンテナを張っていなかったからではないか。

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