「医学部に行かないのならお金は払わない」親の呪縛で計10年に及ぶ浪人・留年を経験した彼の孤独な苦悩

✎ 1〜 ✎ 138 ✎ 139 ✎ 140 ✎ 141
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

予備校から自転車で10分の場所で一人暮らしをしていた水木さんでしたが、浪人生活1年目は、勉強についていけませんでした。

「数学は解の公式しかわからない状態でした。授業は出ていましたが、寮生活の反動もあって、アルバイトをしたりゲーセンに行ったりしていました」

それでも勉強は普通に続けていたため、数学の偏差値はかつての8から大きく上がり、30程度は取れるようになったそうです。

この年は受かる気はしなかったものの、私立大学の医学部を7〜8校受験してすべて不合格となり、2浪目に突入します。

授業についていけず、勉強の仕方がわからなかった

2浪に突入した水木さんは、生活環境を変えようと、予備校がある場所と同じビルに住まいを移します。

部屋のドアを開けたらすぐ予備校があったため、前年度より予備校にいる時間が増えて勉強時間も増加しましたが、集団授業には相変わらずついていけなかったようで、「勉強の仕方がわからなかった」と振り返ります。

浪人しても模擬試験やセンター試験を受けていなかった水木さんは、客観的な指標がわからない状態でしたが、「成績が伸びている感覚はなかったし、到底受かるレベルではないとは感じていた」と語ります。結局、この年も私立大学の医学部を7〜8校受験して全落ちし、3浪が決まりました。

3浪からは予備校を変えて、新宿のGHS予備校に通い始めます。

そこで受けた化学の集団授業は面白かったそうですが、やはり授業についていけず、まったく成績が上がらなかった水木さん。そこで、10月にはまた予備校を変える決断をします。それが、個別指導予備校であった東大螢雪会でした。

「当時、集団授業の予備校は年間で100万円かからないくらいでしたが、個別指導の予備校は月50万〜60万円かかりました。こうした予備校に通うのは現実味がないと思っていたのですが、このままだと成績が下がる一方だし、自分1人の力では、いくら勉強してももう成績を伸ばせないと感じていました。医学部に受かりたいわけではないけど、医学部でなくても早慶などに受かれば親も納得するだろうと思っていました」

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事