小さい頃から実質的に医師になる選択しか残されていなかった水木さんは、成績が伸びないという絶望を抱えつつ、厳しい寮生活の中、21時ごろまで勉強をする日々を送ります。
文系・理系の選択では理系を選ぶも、「人生は親のものじゃないぞ」という高校の先生の助言もあり、教師になるという選択肢を捨てきれず、隠れて文系科目の勉強をしていました。
高校3年生の4〜5月に受けた河合塾や駿台のマーク模試で文系3科目の成績は偏差値50後半くらいだった水木さん。しかし、医学部志望生が多い校内模試では平均点が90点の数学で2点をとり、偏差値8を取ってしまうなど、現役時の受験では医学部には到底届かない成績に終わります。
「この年は、理系科目の勉強をしておらず、受験費用を内緒でいとこに出してもらって、文系の大学を勝手に受験していました。それで日本大学の法学部に合格したのですが、父親には合格したことも報告できず、結局進学はできませんでした」
父「医学部が嫌なら自分で生きていきなさい」
文系の大学を受験し、合格したことを両親に話せなかった水木さんは、仕方なく完全に理系志望に変える決断をし、理系専門の予備校であるスバル高等予備校に通うことを決めます。
浪人した理由は「そうしないと生きていけなかったから」と語りますが、そこには父親の一言が影響していました。
「当時から親とは些細なことでも話し合える間柄ではなかったのですが、浪人を考えるタイミングで親から、『医学部に入るのが嫌なら、自分で(働いて)生きていきなさい』というニュアンスのことを言われた記憶があります。今まで自分は寮生活で社会から断絶されているところにいましたし、お金の稼ぎ方やアルバイトの仕方も何もわかりませんでした。医師になるための勉強さえしていれば、親から最低限の生活は保障されている状態だったので、仕方なく浪人して勉強するかという感じでした。医学部に行きたいとは思っていません」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら