「遅れる」の汚名返上、イタリア鉄道なぜ激変? きっかけは「新参との競争」英仏間列車にも進出

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だがある意味で言えば、これが大きな転機だったといえる。

イタロの運行開始に危機感を抱いたイタリア鉄道は、高速列車「エウロスター・イタリア」を刷新。新ブランドの「フレッチャロッサ」が誕生し、サービス内容や価格設定も大幅に改善してイタロに対抗した。

これが起爆剤となって、ミラノ―ローマ間といったイタリア国内主要都市間の鉄道需要は大幅に伸び、今や両都市間の鉄道のシェアは航空機やバスを大きく引き離す9割以上を達成している。競争がサービスの改善を生み、鉄道そのものの競争力や価値を高める結果となったのだ。

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日立レールの工場で量産が続くイタリア鉄道の「フレッチャロッサ・ミッレ」(撮影:橋爪智之)

攻防乗り越え「攻める側」に

早い段階で民間企業や他国からの参入を許したイタリア鉄道だったが、よいサービスを提供することができれば、逆に他国市場へ参入し、そこに活路を見いだすことができる、ということに気付くことになる。

オープンアクセスとは、新規参入の民間企業に門戸を開くためだけではなく、国鉄系鉄道会社が他国での列車運行ビジネスを行うことも可能にした。国内ですっかり元気を取り戻したイタリア鉄道は、その後他国に積極的に参入することになる。

イタリア鉄道は、前述のフランス、スペイン以外に、イギリスとドイツ、スイスで列車を運行しており、将来的にはこれにオーストリアが加わることになるほか、ベルギーやオランダにも関心を示している。

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