原田泳幸・日本マクドナルドホールディングスCEO--爆走するエネルギー、米国へのあこがれと反発

日本マクドナルドの元幹部から「アメリカからの使者」、「グローバリズムの権化」と揶揄される原田。しかし原田は、米国一本やりの単線的な男ではない。米国へのあこがれと反発。アメリカ的なるものと日本的なるもの。少年の頃から二つの極、二つの思いを抱えていた。

高校時代に白紙答案 米系企業での経験

長崎県の西海国立公園の中にある無人島。そこで開かれた進駐米軍主催の輪投げ大会には、チョコレートなどの景品がぎっしり並んでいた。フェンスの内側の米軍住宅には芝生やブランコ、滑り台。フェンスの外は汚い町。はだしで歩き、弁当を持ってこない同級生もいた。少年は「アメリカは天国だ」と思った。

一方で、両親、祖父母からB29の空襲の話を聞いていた。学校の周囲には防空壕がある。米国人の子どもと野球をして遊んだが、終わると、袋だたきにした。敵愾心も同居していた。

二つの極を抱えた原田少年は、極端から極端に振れた。米軍向けのジャズ放送に触発され、高校時代はブラスバンドと水泳の日々。成績が下がり、2年になると理系でいちばんビリのクラスに入れられた。悪ガキばかりで先生もひどい。屈辱だった。

屈辱をバネに猛勉強した。帰宅して夕飯を食べるとすぐ寝る。夜11時に起きて朝まで勉強。これを毎日続け、成績は660人中4番に。3年では一番上のクラスになったが、そこは国立大学への進学しか考えないエゴ集団だった。担任は成績だけで受験校や学部を勝手に割り振った。

「女と付き合うやつは国立には入れない」と言われて、切れた。「この人、許せん。人の人生を何だと思っている。国立大学だけが人生か」。

答案を白紙で出し、660人中、下から3番に転落。バンドマンになろうと決めた。決めたら一刻も早く東京に出たい。受験日がいちばん早い東海大学工学部を受験した。

だが、バンドマンの夢は泣く泣くあきらめる。プロになった先輩を見て、「あんなにうまくても飯が食えない」現実を知ったのだ。で、就職したのが、日本NCRである。日本金銭登録機と米国のナショナルキャッシュレジスターの合弁企業。意識して選んだわけではないが、原田の中の二つの極に呼応していた。

徹底した能力主義。最初の半年の能力試験でふるいにかけられ、花形の開発部門に配属されたのは、原田ともう一人だけ。反面、人事・給与制度は日本的だった。マージャン大会に参加し、盆・暮れは課長の家に上がり込んでの酒盛りである。

ここでも屈辱が発火点になった。半導体はコレクター、エミッター、ベースの3要素から成る。なのに、トランジスタを見ると、脚が二つしかない。「これ、変ですよ」と言ったら、上司に大笑いされた。筐体そのものが一つの極になっていることを知らなかったのだ。「ここで勉強しないと人生狂うな」と思った。ほとんど毎晩、専門書を抱えながら寝た。

業績不振からNCRの開発部門が閉鎖され、やむなく32歳で横河HPに転職する。同じく日米の合弁だが、開発職で入ったのに、営業のシステムエンジニア(SE)に回された。入社したその週に退職願を提出。が、だましだまし使われた。「君がいないと営業本部のSEは成り立たない、と。1年経ったらあと1年、1年経ったらもう1年やってくれ」。

客先にあいさつに行くと、出した名刺を相手が片手でひょいと取った。営業というのは、こんな扱いを受けるのか。そういう世界で鍛えられた。「社員に言い聞かせている営業の基本は、ここで身に付けた。エンジニアというのは、俺の技術がすべてというとがった世界。そこから抜け出した。HPでは随分習いました」。

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