僧侶が説く「納得がいかないことがあっても、原因を探さないほうがいい」の理由――偶然が人生を豊かにすることもある
何かをするとき、私たちは意識的であれ、無意識的であれ、行動を選択しています。何をするのか、その場にとどまるのか、どこかを目指すのか……。どんな行動を起こすにしても、その結果、何が起こるかはわかりません。
引き寄せの法則があろうとなかろうと、物事はいたるところで勝手に起こります。
あらゆる物事には起因があり、つながっているとしても、私たちは神の視点に立つことはできないので、それを見ることなどとうていできないし、意図的に関与することもできません。
私たちの人生も同様です。どの国、どの時代に生まれるかは選べず、生まれてくる家族も選べません。どんな学校に行き、どんな会社に入るかは自分で選んでいるように思えますが、それもさまざまな状況が重なり、縁があって決まることが多いものです。
人には生涯で人生を左右する経験が36回あるそうですが、そのうち、自分で意図して変わった経験はどれくらいあるでしょうか。
人生を変えたいと思うタイミングと、実際に起こる人生の変化が重なることはそれほど多くありません。私にとって大きな転機は事業を整理したときや、叔父を看取ったときですが、自分で意図したことではありませんでした。
人生では納得がいかないこともたくさん起こります。ときには「なぜ、こうなってしまうのか」と迷ってしまうこともあります。それはたいてい、原因がわからないからです。しかし、世の中はどうにもならないことだらけです。
人間は甘みよりも苦味に敏感なので、クヨクヨと考えてしまいがちですが、当然、よいことだってあります。
人は普通、「この人を好きになろう」と思って好きにはなりません。感情はコントロールできないからです。昔は結婚が「家同士のつながり」を重視したものだったので、双方の親によって子どもの結婚相手は決められていました。目的ありきで、本人たちの好き・嫌いは後付けです。
一方、現代では多くの人がたまたま好きになった結果、結婚しています。
物事は起こすものではなく、起こるもの。私たちの人生は偶然性に左右されてしまうわけですが、それは悪いことばかりでなく、人生を豊かにすることだってあるのです。
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