秀長が5人の師から盗んだ"弱者"の生存戦略の妙――槍持たぬ農民が116万石へ、独学を捨て「補佐の極意」をつかむまで

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
秀長の最初の就職先の織田家は完全な実力主義であり、望めば誰にでも、武将として出世できる道が開かれていました(写真:Brunch/PIXTA)
歴史を振り返れば、「師」に学ぶことで、自らの人生を飛躍させる機会を得た事例は枚挙にいとまがありません。坂本龍馬は、勝海舟に学ぶことで、歴史の表舞台へと登場しました。高杉晋作、伊藤博文にも吉田松陰という師匠がいました。
本来「学ぶ」とは「師から学ぶこと」を前提としており、独学では到達できない領域があることを示唆しています。
では、そうした師に出会うにはどうすればいいのでしょうか。そして、師から多くのことを吸収し、それを活かすには何をどのように工夫すればいいのか。歴史家で作家の加来耕三氏の新刊『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』をもとに、3回にわたってひもといていきます(1回目)。

秀吉が弟・秀長に期待したこと

豊臣秀長は、令和8年(2026)のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公であり、豊臣秀吉の弟として歴史に登場した人物です。

自らの功績を知られまいとして意図的に消した痕跡があり、そのため一般的な知名度はそれほど高くありません。ですが、豊臣政権においては紛れもなく、並ぶもののない大人物でした。

なにしろ、秀吉が天下統一した時点では、徳川家康に次ぐ116万石もの石高を有する大大名だったのですから。

「大和大納言」と呼ばれた秀長が存命の間、豊臣政権は盤石でした。

次ページ偉大さがわかる人物
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事