「18年の歴史に幕」時速300kmで普通に会話できるグランドツーリングカーを目指し、進化を続けた日産R35型「GT-R」販売終了へ

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特徴は、プリンス時代のレース専用車である「R380」に搭載された直列6気筒エンジンの設計思想や知見を採り入れたことで、その性能は圧倒的で、国内レース50連勝という金字塔を打ち立てる。

レースを制するGT-Rという強い個性がここで確立した。

S30型フェアレディZ。写真は、フェアレディZ432ではなく、フェアレディ240Z
S30型フェアレディZ。写真は、フェアレディZ432ではなく、フェアレディ240Z(写真:日産自動車)

ちなみに、同じエンジンを「フェアレディZ」の最上級車種にも搭載し、その車名はフェアレディZ432とした。数字の意味だが、「4」は1気筒に対して吸排気バルブが4つあること。「3」は、2気筒に1つのキャブレターを装着し、直列6気筒なので合計3つ並ぶこと。最後の「2」は、ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフト(DOHC)のエンジンなので、カムシャフトが2本あることに由来する。

1973年に通称“ケンメリ”と呼ばれる、2代目スカイラインGT-Rがデビュー
1972年登場し、翌年にGT-Rが設定された、通称“ケンメリ”と呼ばれる2代目スカイラインGT-R(写真:日産自動車)

スカイラインは、その後のモデルチェンジで「ケンメリ」という愛称で親しまれるGC110型となる。そしてGT-Rも開発されたが、1970年からの排出ガス規制への対応があり、わずか197台のみ生産され終わった。

16年を経て復活した第2世代GT-R

1989年に登場したR32型スカイラインGT-R
1989年に登場したR32型スカイラインGT-R(写真:日産自動車)

そこから16年の空白を経て、R32型GT-Rが1989年に復活するのである。そして、当時の国内グループAレースで連戦連勝する。また、海外のレースでも活躍した。

GT-Rの使命は、レースで勝つことにある。そのための諸元が定められ、技術の粋を尽くして高性能化され、勝利を重ねてきた。

R32型スカイラインGT-Rとして復活する直前、日産は901運動と名づけた活動を社内で実施した。これは、1990年に技術で世界一になることを目指した取り組みである。その成果の1つが、スカイラインGT-Rの復活につながる。

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