「晒し上げだ」「逆になんでこんな自信満々に断言できるのか」との声も…。ライブ痴漢騒動「キョードー大阪」異例対応のヤバさ
女性がスタッフから言われたと主張する内容について、「該当の発言はなかった」と連発しているところも気になる。

これは「文言」として存在しなかったのか、「趣旨」としても存在しなかったのか。また、それはどのような方法で確認したのか。客席外のやりとりは「第三者の目撃者」の証言では確認しづらく、別の物証があったということなのだろうか。そのあたりの解像度が粗いことも、読者のツッコミどころを生んでいる。
そして、もっとも印象を左右すると感じるのが、キョードー側が「今回の対応について適切さを欠いたとのご批判を受け、不快な思いをされた方がいらっしゃったこと」を謝罪した点だ。これはあくまで、一連の経緯を見た人々に対して謝っている文章だ。
いちおう補足説明の部分では、「不快に感じさせる対応をとってしまい、誠に申し訳ございませんでした」と書かれているが、声明部分において投稿者の心情をくもうとする記述がなかったことは、どこか「当事者不在」に読み取れてしまう。
仮に事実無根なのだとしたら、公のイメージ悪化につながりかねないため、企業として徹底抗戦の構えをとるのは理解できる。しかし、そのファイティングポーズを、あえて誰もが閲覧可能な公式サイトで示す必要はあるのだろうか。
キョードー側の「時代にそぐわない対応」
SNS時代のコミュニケーションでは、「気持ちに寄り添おうとしているか」が重要になる。
今回のように、第一報から全否定するのではなく、相手の心情に一定の配慮を見せることにより、誠実な第一印象を与えられる。その点において、「礼賛」やメンバーは、誠意ある印象を与えた。それがむしろ、キョードー側の声明を「保身に走っている」と感じさせる要素にもなっている。
ましてや、ライブ中の痴漢被害について、このところ世間の意識が高まりつつある。アーティストからも、ロックバンド「ヤバイTシャツ屋さん」や「打首獄門同好会」を筆頭に、「ライブ中に痴漢被害にあった場合、演奏中でも気にせず、スマホ画面を上にかざすなどのアピールを行ってほしい」と呼びかける動きが出ている。
川谷さんの追加声明でも、「絶対に自分たちのライブで犯罪が行われないようにします」と断言し、再発防止策のひとつとして「伝え方に関しても、僕らのライブは撮影不可なので携帯をかざしてもらったりすればわかりやすいのかな」と提案している。
いまや「ライブの進行よりも、観客の身の安全を優先して」がアーティスト側の意向として主流になりつつあるなか、「時代にそぐわない対応」と感じさせたのは、キョードー側としてあまり得策とは言えなかった。
ロックミュージシャンは、ときに時代に反抗する態度をとることにより、従来の「当たり前」を壊してきた。もしも興行会社が体制的な動きを見せるのであれば、そこに立ち向かっていくことも辞さないだろう。そうした意味においては、転換点になり得る出来事だとも感じる。
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