人気再沸騰の温泉街「熱海」、駅開業100年の軌跡 当時の設計図に見る「貴賓室」もあった豪華駅舎
続いて、熱海駅の開業が温泉街にもたらした変化についても見ることにしよう。
開業時の熱海駅は、国府津駅から盲腸線のように伸びた熱海線の終点だった。当時の時刻表を見ると上り列車(東京行き)が9本、下り列車(熱海着)が9本の1日わずか18本が発着するにすぎなかった(翌1926年8月の時刻表では上下合わせて20本)。だが、それまで東京から熱海までは東海道線、路面電車、軽便鉄道を乗り継ぎ、半日がかりだったのがおよそ3時間に短縮されたのだから、だいぶ便利になった。


さらに昭和に入ると難工事の末に丹那トンネル(熱海―函南間)の掘削が完工し、1934年12月に熱海―沼津間が開業。これにより熱海線が東海道本線となり、熱海駅も晴れて本線上の駅となった。
列車本数も大幅に増加した。1934年12月の時刻表を見ると、上下合わせて1日におよそ60本の列車が発着(一部の急行は通過)するようになり、特急も「燕」と「富士」は通過したが、「櫻」は停車した。
日本の代表的温泉地に発展
そして、このことが熱海発展の大きな契機となった。『熱海市史(下巻)』によると、丹那トンネル開通前後で次のような変化が生じた。
戦後は東海道新幹線の開業により、熱海は日本を代表する保養地へと発展。昭和40年代にピークを迎えた。その後、低迷した時期もあったが、2011年を底にV字回復し、「熱海の奇跡」とも呼ばれるようになる。

近年の熱海は温泉や花火だけでなく、熱海市出身の大相撲力士・熱海富士の活躍など話題も多い。一方で、あまりにもきれいになったガラス張りの熱海駅を見ると「開業100周年」と言われても、なんだかピンとこない。あのレトロな駅舎が、少し懐かしく思い出されるのだ。

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