日本人なら懐かしい「歌の昭和史」総ざらい(後編) 昭和が遠のく中、矢沢永吉は今も現役で…

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『帰って来たヨッパライ』のヒットで重要なのは、メディアとしてテレビが介在していないところ。フォーク系の歌手たちがこぞってテレビを拒否していた時代の、ラジオの底力を感じさせる。

内容は、飲酒運転で交通事故死したヨッパライが、関西弁の神様に天国から追い出され、この世に戻ってくるというコミック・ソングだ。東芝が目を付けてメジャ-・デビュー・シングルとして発売し、200万枚のメガヒットとなった。

翌年、ミリオンセラーのタイトルを冠し、『帰って来たヨッパライ』は大島渚によって映画化される。グループの3人が主演して、大学生活最後のバカンスを楽しみに海に行った彼らのドタバタ喜劇となった。

リーダー格の加藤和彦は、後に作詞家の安井かずみと結婚、死別後は世界的ソプラノ歌手の中丸三千繪と再婚するなど、何かと話題の多い人だったが、2009年に自殺している。

グループ解散後の最大のヒット曲は、加藤と北山修とのデュオで、『あの素晴しい愛をもう一度』。北山はこの曲を置き土産に転身して、高名な精神医学者になった。

フォークソングからニューミュージックへ

フォークソングの歴史に颯爽と登場するフォー・クル以前に誰が活躍したかと言えば、岡林信康であり昨年他界した高石ともや、高田渡といったシンガーだった。アコースティックギターの時代である。

そこから、反戦フォークに象徴される政治色を抜いたところで、吉田拓郎や井上陽水が、メジャーなヒットメーカーとして台頭する。この二人、小室等、泉谷しげるとフォーライフというレーベルまで立ち上げた。

ただ、初期拓郎まではボブ・ディランの圧倒的影響下にあった。その後の拓郎は、森進一(『襟裳岬』ほか)からキャンディーズ(『やさしい悪魔』ほか)まで、楽曲を提供する才能を発揮し、陽水も中森明菜に『飾りじゃないのよ涙は』などを提供する。

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