中居正広と松本人志に共通する"不信感"の正体 説明をせず、仕事復帰を宣言できる一体なぜ?
極論を言えば、文春をはじめとする各種報道の「ここは正確」「ここは不正確」を、1文ごとに赤ペンを入れつつ反論するしかない。
しかし、おそらく守秘義務や被害者保護などの観点で難しく、こうしたモヤモヤの残る文章となるのだろう。フジテレビの声明が、よく頭に入ってこないのも、同様の理由と考えられる。
ただし、臆測が急速に広まるSNS時代において、重要なのは「早期かつ具体的にファクトを伝える」ことだ。その点において、中居さんと松本さんのケースに共通する「『疑惑』のまま越年した」ことは、今後に影を落とす可能性がある。
年末年始は、とくにエンタメに触れる機会が多く、NHK紅白歌合戦など注目のコンテンツも多々ある。SMAPが解散したのも、2016年の大みそかだった。
松本さんの相方である浜田雅功さんは、特番に引っ張りだこ。木村拓哉さんの新CMや、香取慎吾さんの主演ドラマなども始まり、「そういえば」と思い出す場面もあっただろう。
そんななか、突然テレビやネット広告から消えた中居さんの動向を、視聴者が気にするのは当然だ。しかし本人サイドによる公式発表が(ほとんど)ないまま、CM打ち切りや出演番組のカットが相次いで報じられる。記事の多くは「取材でわかった」と書かれており、「聞かれないと答えない」ような印象を与えてしまう。
今回、テレビ局が“疑惑の対象”に含まれている
中居さんと松本さんの事案で、最大の相違点となるのは、今回は(事実関係は不明ながら)フジテレビというテレビ局が、疑惑の対象に含まれていることだ。中居・フジ双方が、フジ社員の関与を否定しているが、ネットユーザーは「芸能界ならさもありなん」と疑いの目を向けている。
その背景には、昨今の「オールドメディア」批判も多分にあるだろう。SNSなどのネットメディアが、旧態依然とするマスメディアと互角の影響力を持った、もしくは上回ったと認識している人々は、今回のようなスキャンダルを「既得権益打破」の足がかりにしようとしているように感じられる。
そんな状況下で、芸能界の「村社会」を印象づけるような対応が、どれだけネガティブに働くか。視聴者そっちのけで、事務所や放送局、スポンサーからなる「ギョーカイ内」で完結しているように見えてしまい、それがさらに嫌悪感を増幅させているのではないか。
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