神奈川県愛川町のペルー料理が愛される深い事情 県内で最も「外国籍住民の割合」が高い自治体

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沖縄とペルーの結びつきは深い。1906年に36名の沖縄出身者が移民船「厳島丸」でペルーに渡って以来、1万人を超える人々が同地への移民となった。いまでもペルー在住日系人の約7割が沖縄ルーツだと言われる。

ファンルイスさんは25歳のとき、父親とは逆コースをたどり、今度はペルーからの移民として渡日した。後に南米でもそのまま通じることとなる「デカセギ」である。当時、ペルー経済は深刻な不況に見舞われていた。

全国でも有数の外国籍住民集住地域

最初は自身のルーツがある沖縄で建設業に従事する。その後、神奈川県の愛川町に移って工場労働者となった。

ここが重要なところだ。なぜ、愛川だったのか。

店の前の通り
「TIKI(ティキ)」がある通り(編集部撮影)

鉄道駅がなく、人口4万人にも満たない愛川町。"最寄り"の本厚木駅(小田急線・厚木市)までは、町中心部からバスで40分を要する。まさに陸の孤島ともいうべき愛川だが、実は県内で最も外国籍住民の割合が高い自治体だ。同町によると2024年12月時点で、外国籍住民は3612人。全人口(約3万9000人)に占める割合は9%を超える。全国でも有数の外国籍住民集住地域なのだ。

多くは南米や東南アジア出身者だが、出身国別トップに位置するのはペルー(677人)である。

丹沢山麓に位置するこの小さな町に外国人が住むようになったのは、30年以上も前のこと。同町南東部には、自動車部品や金属製品など約100社の工場が立ち並ぶ「内陸工業団地」がある。愛川に住む外国人の多くが、この団地内の工場で働く。愛川の工業団地は県内、いや、全国屈指の外国人労働者の受け皿として機能しているのだ。

「正門」
住宅地の中に残る、旧日本軍の飛行場「正門」(筆者撮影)

ちなみに工業団地のある通称・中津台地は、戦時中、旧日本軍の飛行場(相模陸軍飛行場)が置かれていた。

町内の郷土資料館で担当者に聞いたところ、同飛行場では当初、「赤トンボ」と呼ばれる練習機で飛行兵を養成していたという。本土決戦に備えた急ごしらえの飛行場は滑走路も未舗装で、草を刈り取って平らに直しただけだった。戦況が悪化すると航空兵養成も短期間となり、訓練もそこそこに特攻隊員として戦場に向かわされた若者も少なくなかった。愛川は太平洋戦争開戦から終戦までの間は「基地の町」だったのである。

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