アイヌ伝説の猟師が語る「ヒグマの最大の欠点」 戦前の北海道で実際にあった「人間と熊」の闘い

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ドロリと煮詰まった液体を、ほんの耳搔き一杯分ほど自らの舌の上に乗せ、じっと正座するのである。やがて、額に汗が噴き出し、顔面は蒼白となり、全身が小刻みに震えだす。この時点でマキリ(小刀)の刃を用いてその薬をこそぎ落とし、口をすすいでしまう。このように自分の体に現れる徴候をもって、毒の効き目ははっきりと確かめられるのである。

この液体を、十勝石(黒曜石)で作った矢尻に塗って、熊の体に射込むのだが、これまた当たりどころにより、毒の回りに早い遅いがあった。しかしブシを用いるようになってからは、獲物は確実に倒せたし、危険の度合いも低下した。

こうして、この毒薬を用いてのアマッポ猟はたちまちのうちに広まり、全道的に行なわれるようになったという。

大声で熊を立ち上がらせて、銃を発砲する

ところが、明治の初め頃から猟銃が持ち込まれるようになって、アイヌの人々の中にも銃を使う者が増えてきた。彼らは、狩猟者としてそれを必要とするがゆえに、猟銃の取扱いにはきわめて精通し、大正から昭和にかけての沢造たちの時代になると、操作法に心を砕いて、一瞬でも早く正確に射撃できるよう、各々が鍛練をしたものであった。

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なかでも「腰矯(こしだめ)」という、銃を腰のあたりに当てて発砲する技法に惹かれた沢造は、1年あまりの時間をかけて、あらゆる角度からの練習を重ね、ついにそれを己れのものとして完成させた。

沢造にはまた、熊の習性を知悉(ちしつ)する者だけが使える、得意の手があった。それは、走り寄ってくる熊に対して大声を発し、その熊を立ち上がらせる、というものである。立ち上がって襲いかかろうとする寸前に腰矯にした銃を発砲すれば、弾丸が熊に致命的な打撃を与える確度は増す。

「襲いかかってきた熊の前に立ち塞がって大声を張り上げれば、たいていの熊は立ち上がるものだ」と沢造は平然として語っていたが、それを聞いたとき私は、ある種の畏怖を覚えた。その言葉に私がおののいたのは、そのような技に恐れを抱いたからというよりも、猟を生業とする者の凄みを感じとったからに違いない。

今野 保
こんの たもつ / Tamotsu Konno

1917年、北海道早来町生まれ。奥地での製炭業を経て、1937年から26年間炭鉱に勤務。その後、室蘭にて土木会社を設立。1984年に事故で右手を負傷するが、入院中に左手で文字を書く練習を行い、その後、執筆活動を始める。著書に『アラシ―奥地に生きた犬と人間の物語』『羆吼ゆる山』(いずれもヤマケイ文庫)がある。2000年逝去。

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