10万ドル到達のビットコイン、15年の変遷と未来 元祖仮想通貨が金融市場を揺るがす存在となるまで
ちなみに日本の金融庁は、2018年のG20サミットでCrypto Assetsという言葉が用いられたことを根拠として、またビットコインなどが実質的に通貨よりは、株式などのように取引される資産としての意味合いが強いことを考慮して、「暗号資産」と呼ぶことを公式に定めている。
闇に消えたサトシ・ナカモト
2009年1月3日にビットコインのシステムをリリースしたナカモトは、このときビットコイン初のブロック生成を行い、その報酬として50BTCを得たとされている。
その後、ナカモトはクライアントソフトウェアを最初にダウンロード・インストールしたひとりでコンピューター科学者のハル・フィニーに10BTCを送り、これが最初のビットコイン取引事例になった。
その後もナカモトは、幾人かの仲間とともに、積極的かつ精力的にビットコインのソフトウェアの改良に取り組んでいた。だが2010年の半ば以降、次第にこのプロジェクトへの関与を減らし、2010年12月にビットコインソフトウェアのver0.3.19が完成したことを告知した後、インターネット上の活動から身を引いてしまった。
サトシ・ナカモトが謎の人物とされるのは、これ以後、一度もその存在を確認されておらず、さらに初期のビットコイン開発において重要な役割を果たしたにもかかわらず、その身元が一切不明のままであるからだ。
ナカモトが使っていたメールアドレスは、ドイツで提供されていたフリーメールサービスのものであり、そこから彼の個人的な情報や記録をたどるのは難しい。サトシ・ナカモトという名前からは日本人であることが示唆されるが、ナカモトが記した文章にはイギリス英語の特徴がみられ、日本人が書いたとは思えないほど流暢であるため、少なくとも日本で生まれ育った日本人である可能性は低いと考えられている。
ビットコインが画期的なのは、論文にあるピア・ツー・ピア(P2P)の仕組みを導入し、特定の企業や団体による管理なしに運用可能としたことだ。そのためナカモトがいなくてもビットコインは機能し続けている。ただ、ナカモトは姿を消す前にビットコインに関する指揮権をギャビン・アンドレセンに譲っており、アンドレセンは2012年にビットコイン財団を設立、その主任開発者として、ビットコインの標準化・保護・利用促進のための活動を行っている。
ちなみに、サトシ・ナカモトの詳細は現在も謎のままだが、これまでには複数の人物がサトシ・ナカモトではないかと疑われたり、自らをサトシ・ナカモトだと名乗り出たりしている。特に、オーストラリアのコンピューター科学者クレイグ・ライトは2016年に報道機関を通じて自身がサトシ・ナカモトだと主張したが、証拠を提示する際に不正をしていることが判明した。ライトは後にビットコインの仕組みを書いた書類について著作権を主張したが、仮想通貨特許同盟(COPA)はこれを認めず、ライトをイギリスで提訴、英高等法院は2024年3月にライトの主張を退ける判決を出した。
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