「フィリピン大統領の暗殺を依頼」した副大統領 現職マルコス対前職ドゥテルテの全面対決へ
これまでは大統領の息子や側近らが激しく反発し、非難の声を上げても、マルコス氏自身は「友人と思っていた」「ノーコメント」などの穏当な反応を示してきた。
それでもさすがに暗殺発言には堪忍袋の緒が切れたのだろう。11月25日にビデオメッセージを発し、「このような犯罪計画を処罰されないままにしておくことはない」「大統領さえ簡単に暗殺できるなら、一般の市民を殺すのはどれほど簡単か」と述べ、さらに「副大統領として議会で質問に答えていたらこのような『ドラマ』にはならなかっただろう」と反撃に出た。
「ニノイ・アキノ暗殺はマルコス家の仕業」
大統領のメッセージについて同日、囲み取材に応じたサラ氏は1983年、ニノイ・アキノ元上院議員が亡命先からマニラ国際空港に帰国した際に航空機から連行され、タラップで銃殺された歴史を持ち出した。
「彼ら(マルコス家)がニノイ・アキノを暗殺した時に国民が立ち上がったのではなかったか」
暗殺事件をきっかけにシニアの独裁体制に対する反発が強まり、1986年の「ピープルパワー」政変によってマルコス家が国外に追放された経緯を指摘したのだ。独裁政権が暗殺を指示したとの説は強いが、直接の容疑者がその場で射殺されたこともあり、真相は確定していない。
同じ11月25日夜、父のドゥテルテ前大統領も記者会見した。娘の暗殺発言について「取るに足らないこと」と問題にしない姿勢を示したうえで、マルコス氏を「長年の麻薬中毒者」と呼び、「今、統治が崩壊している。マルコスやロムアルデスを正せる者はいない。緊急の解決策はない。正せるのは軍だけだ」とあたかもクーデターを促すような発言をした。
マルコス氏とサラ氏は3年前、「ユニチーム」を結成して正副大統領選に打って出た。ドゥテルテ前政権の政策継承と「UNITY」(団結)を掲げ、史上最高得票で圧勝した。
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