31歳、4回転職した彼が「秋田でマタギ」になった訳 挫折の末にマタギという生き方にたどり着くまで

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しかし……。派遣先のクライアントに常駐し、山のようにある仕事が終わらず、ノルマに追われながら毎晩終電で帰る日々が続くうちに、再び岡本さんの心は曇り出していく。都会の無機質な生活に息苦しさを感じるようになり、週末のたびに山に向かった。

そんな時期に偶然、書店で見つけたのが『マタギに学ぶ登山技術』という本だった。

山の脅威も恩恵も知り尽くした秋田や青森のマタギたちの山歩きの技術からマタギという生き方、精神性まで、すべてに岡本さんは衝撃を受けた。

山で暮らしの糧を得て生きている人々がいる。一気に読み終えたあと、「自分もこういうふうに生きていきたい」と強く思った。生きることと日々の営みが直結している確かな感覚が欲しい。

悶々と過ごした年月も自問自答の日々も一括清算、岡本さんは人生を賭ける決意した。

「秋田に移住して、マタギの後継者になる」

マタギ
秋田の自宅には、かんじきや狩猟刀(写真右)などマタギの伝統的な狩猟道具が揃う(写真:岡本健太郎さん提供)

「伝説のマタギ」との出会い

移住を決めてから、岡本さんの行動には迷いがなかった。

2021年の冬、北秋田市の移住体験プログラムに妻と一緒に参加。マタギの山歩きを体験して、頭の中でイメージしていた世界そのものだと確信する。

移住にあたって、一番の課題は妻の同意だった。話し合いの末、岡本さんの収入アップを条件に移住を認めるという約束を取りつけた。その頃には仕事のスキルもあがっていたので、妻の条件をクリアするためにフリーランスに転身。テレワークの環境さえあれば、どこでも仕事ができることも独立の大きなメリットだった。

こうして岡本さんは北秋田市に円満移住をすることができた。

現在、岡本さんには師と仰ぐ2人のマタギがいる。1人は、前述の伊藤優さん。若い頃から射撃の大会で何度も優勝経験を持ち、歴代の阿仁マタギの中でも射撃の名手として名高い。冬眠中のクマを穴からおびき出して仕留める穴熊猟でも、その腕は冴えわたる。

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