31歳、4回転職した彼が「秋田でマタギ」になった訳 挫折の末にマタギという生き方にたどり着くまで
マタギにとって、クマやウサギ、鴨などの狩猟鳥獣や山菜、キノコ、川魚などは、すべて山の神様からの授かりものである。その中でもクマは特別なもので、クマを撃ちとることを、感謝をこめて「授かる」という。
「マタギはクマを授かるための狩猟の腕と胆力を当たり前に持っています。クマを授かることが一人前のマタギと認めらもらうための通過儀礼なので、ウサギやイノシシなど、他の動物ではダメ。だから僕もクマを授かりたいんです」
淡々とした語り口の中にも、一人前のマタギをめざす岡本さんの迷いのない熱量が伝わってくる。だが、マタギという生き方を見つけるまでの20代の数年間は、岡本さんにとって挫折感にまみれて迷走を続ける日々だった。
「マタギ」という生き方にたどり着くまで
振り返ると、迷走の始まりは大学4年の就活の失敗だったかもしれない。
将来像が描けず、就活に完全に乗り遅れた。4回生の年末ぎりぎりに内定をくれたのは東京の保険会社。仕事は電話営業だった。「これくらいならやれる」と思って入社したものの結果を出せない。挫折感に耐えきれず、1年半で退職する。
地元の静岡に帰って再就職したのも保険会社。ここも、妻との結婚後、上京して起業するために退職。だが起業はあえなく失敗し、食いつなぐために日払いの個室ビデオ店の店員に。
客が汚した個室を掃除しながら、心の支えは中学時代から心酔している北方謙三の小説だった。逆境の中でも自分を貫く強い男たちの生きざまが、折れそうになる岡本さんの心を鼓舞する。
じり貧を脱出するために、岡本さんは一念発起。当時、トレンドになりつつあったITエンジニアをめざして、プログラミングのスクールに通い始める。
受講期間は半年。学費30万円は用意できず、ローンを組んだ。がちがちの文系でITスキルはゼロ。ぎりぎりの成績だったが、卒業後はシステムエンジニアリングサービス企業に採用が決まり、27歳でエンジニアデビュー。ようやく安定した人生のレールに乗れたと思った。
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