相鉄かしわ台駅、地元民は知っている「2つの顔」 東口はホームから300m以上ある通路の先に駅舎

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

長い通路は相鉄の輸送力増強の歴史と深い関係がある。現在、相鉄本線で小田急江ノ島線との乗換駅である大和から西は、相模大塚、さがみ野、かしわ台、そして海老名という順に各駅が並んでいる。かしわ台の東口駅舎が建つ場所にはかつて「大塚本町」という駅があった。『相鉄グループ100年史』によると、1946年3月1日に柏ケ谷駅として開設、翌月に大塚本町に改称されている。

かしわ台駅 東口駅舎
現在の東口駅舎。すぐそばには踏切がある(記者撮影)

経済成長真っただ中の沿線開発で輸送需要が拡大。車両増備に対応するため、1967年に柏ケ谷に電車基地が完成、星川にあった電車区・車掌区や検車区が移転してきた。

単線区間が残っていた相鉄本線は、1966年に相模大塚―大塚本町間、1967年に大塚本町―電車基地間が複線化。海老名までの全線が複線化したのは1974年のことだった。1950年代末は最大で4両だった電車の編成も、1970年には7両、1975年には8両まで伸びた。

かつての大塚本町駅の面影も

大塚本町駅は1975年に横浜方へ890m移設してさがみ野駅に改称、海老名方に500mの場所に新設したのがかしわ台駅だった。当時の相鉄が作成した利用者向けの掲示物には「お客様の増加にそなえ、駅の改良を計画していましたが、大塚本町駅はもう大きくできません。いっそ新駅を2つ造ろうと決まりました。名前は『かしわ台』と『さがみ野』です」とある。相模大塚駅は横浜方に50m移設して橋上駅舎とした。

かしわ台駅 東口駅舎
現在のかしわ台駅東口駅舎。ホームは300m以上ある通路の先にある(記者撮影)
相鉄 大塚本町駅
1966年当時の大塚本町駅(提供:相鉄グループ)
【写真の続きを見る】かしわ台駅東口駅舎の場所にかつて存在した大塚本町駅。多数の店舗が軒を連ねていた当時の駅前の様子は?

大塚本町駅だった東口駅舎とかしわ台のホームをつなぐために設けられたのが長い通路。もし東口と通路がなければ、西側の改札口まで駅の外を大回りする必要があった。東口駅舎は1997年3月に建て替えられた。

ホームから通路を歩いていくと東口駅舎の手前で少し足元が盛り上がっているのは大塚本町のホームがあった名残という。いまでは東京都心、さらに埼玉県内まで直通運転をするようになった相鉄線。その発展の過程をかしわ台で垣間見ることができる。

この記事の画像を見る(60枚)
鉄道最前線の最新記事はX(旧ツイッター)でも配信中!フォローはこちらから
橋村 季真 東洋経済 記者

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

はしむら きしん / Kishin Hashimura

三重県生まれ。大阪大学文学部卒。経済紙のデジタル部門の記者として、霞が関や永田町から政治・経済ニュースを速報。2018年8月から現職。現地取材にこだわり、全国の交通事業者の取り組みを紹介することに力を入れている。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事