「米津玄師の名曲」教養あると楽しめる楽曲の背景 知識を身に付けていると気づく楽曲の裏側
米津玄師さんの楽曲の1つに、「花に嵐」という歌があります。アップテンポで素晴らしい曲なのですが、みなさんは「花に嵐」という言葉には、どんな意味があるかご存じでしょうか。
実は「花に嵐」は、邦楽の別の曲の中でも何度か使われています。例えばEveという若者に人気のミュージシャンも「花嵐」という楽曲を発表していますし、aikoさんも「花風」という楽曲があります。
「花に嵐」に隠された意味
このように「花」と「風・嵐」という組み合わせは、多くの楽曲で登場するものです。おそらく多くの人は、「花に嵐」と言われても、「花吹雪の嵐」のようなイメージを持つと思います。たしかにそういう意味もあるのですが、それだけではなく実はもう1つ、隠された意味合いがあります。
それは、「別れ」です。
まずそもそも、「花に嵐」という言葉は、「山椒魚」「黒い雨」などの小説で有名な井伏鱒二が、中国の漢詩をこのように訳したことで有名です。
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
後半の「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」に注目してください。『さよならだけが人生だ』という言葉は有名ですよね。映画やドラマでもセリフとして使われている場合もあります。
実はその前の言葉が、『花に嵐のたとえもあるぞ』なのです。この言葉は、于武陵の「勧酒」という漢詩を訳したものだと言われています。そちらもチェックしてみましょう。
僕はこの意味を「花が咲いて、そのまま綺麗なままで残っていてほしいのに、雨風が多くてすぐに散ってしまう。それと同じように、綺麗で終わりのないことが望ましいにもかかわらず、人生も別れが多いものだ」というような意味だと解釈します。
これを井伏鱒二は「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と訳したというわけです。
そしてそこから、「花に嵐」「花嵐」という言葉は、「綺麗な花が咲いたのに、雨風や嵐ですぐに散ってしまうかのように、人生には別れが付き物だ」という、花の儚さと人生の別れを象徴するような表現として使われることが多くなりました。
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