しかし、そうした作画技術やストーリーもさることながら、ちば作品が愛される最大の理由は、やはりキャラクターにあるだろう。ジョーにしても鉄兵にしても、『のたり松太郎』の主人公・松太郎にしても、決して優等生ではない。というより、悪たれでダメな部分のほうが多い。そんな“はずれ者”たちを、愛情を込めて描く。
彼らはしっかり食べるしトイレにも行く。髪やひげや爪が伸びたり切ったりもするし、時間の経過とともに年を取る。つまり、ストーリーのための手駒ではなく、作品世界の中で生きている。一人ひとりの生活者としての姿が見えてくる。だからこそ、読者は彼らに人間的な魅力を感じるのだ。
老境を楽しむかのように綴る『ひねもすのたり日記』
大家族ドラマ『1・2・3と4・5・ロク』(1962年)では庶民の生活を描き、ピカレスクロマン『餓鬼』(1970年)では人間の業を描く。ちば作品には珍しい恋愛劇『螢三七子』(1972年)の叙情も忘れがたい。ゴルフマンガ『あした天気になあれ』(1980~1991年)の主人公・向太陽の「チャーシューメーン」の掛け声は、ちょっとした流行語にもなった。現在連載中の『ひねもすのたり日記』では、物忘れが多かったり体が思うように動かない自分を包み隠さず、むしろ老境を楽しむかのように綴っている。
そうした多彩な作品を描く一方で、2012年からは日本漫画家協会の理事長、2018年からは会長を務める。マンガ界を代表する立場として、表現規制問題についても先頭に立ち、90年代の有害コミック騒動時には『――と、ぼくは思います!!』と題した作品でも意見を表明した。満州からの引き揚げ体験をもとに、戦争の悲惨さを伝えることにも尽力する。大御所中の大御所でありながら、少しも偉ぶるところがない。
手塚治虫が「マンガの神様」なら、ちばてつやは「マンガの天使」とでも言うべきか。とにかくマンガ界になくてはならない存在であり、文化勲章だけでなく人間国宝に指定してほしい。少なくとも120歳ぐらいまではお元気でいてほしい――というのが、マンガに関わる人間すべての願いだと思う。
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