実は不登校の子どもにも親にも問題はありません 多様な学びを提供できない行政と大人の責任

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でも、当時とは異なり、今は、文科省をはじめとする教育行政機関も、「不登校は欠陥でも何かの欠落でもなく、むしろ多様な学びの機会と場を十分に提供できていない行政と大人の責任である」と公的なメッセージを送っています。

ですから、やはり「不登校とは、学校に行かない子どもを育ててしまったダメ親と、少しの耐性もなくすぐに現実から逃げる弱い子どもによって生じる」という判断と認識は、今を生きる者たちが脱するべきフェイクなのです。

不登校は親子の責任ではない

そして、とりわけ年長者たちがもつ「かつての風景」を前提とした思考習慣、そこから漏れ出す心無い言葉(「なんだよ? 学校行ってねぇのか?」)は、あらゆる意味で曲がり角に来ているこの社会で、命懸けでメッセージを発している幼き者たちを傷つけ、その成育の障がいとなります。

「学校に行かないでどうするつもりだ?」という疑問は、長い心の習慣ですから、どうしても払拭できない不安とともにあります。しかし、まず何よりも「不登校は親子の責任ではなく〝起こっている現象〞である」と、言い換えることから始めるべきだと思います。

岡田 憲治 政治学者/専修大学法学部教授

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おかだ けんじ / Kenji Okada

政治学者、専修大学法学部教授。1962年東京生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了(政治学博士)。専攻は現代デモクラシー論。本業・副業・地域支援・NPO運営・家事・育児の最中、とてつもないことが淡々と毎日起こっている21世紀を「一身にして二生を経る」心持ちで生きのびる。愛称オカケン。広島カープをこよなく愛する2児の父。著書に『教室を生きのびる政治学』(晶文社)、『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)、『なぜリベラルは敗け続けるのか』(集英社インターナショナル)、『言葉が足りないとサルになる』(亜紀書房)、共著に『転換期を生きるきみたちへ』(内田樹編、晶文社)など多数。

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