実は不登校の子どもにも親にも問題はありません 多様な学びを提供できない行政と大人の責任
子どもの不登校の現場は、なかなか切ないものです。私の家は、窓から小学校がすぐ近くに見えるところにあるのですが、小学校の敷地の角では、鬼の形相で子どもの腕を引っ張るママと、全身でそれに抵抗する子どもの「人間綱引き」のようなものが散見されます。胸が苦しくなる風景です。少なくない親御さんが我が子の不登校に悩んでいると言います。
昔は話が簡単でした。今とはまた次元の違う格差社会だったため、学校に「行きたくても行けない」子どもたちも大量にいました。「勉強なんてしたって家計の足しになりゃしねぇ。家の手伝いをしろ」と言われた子どもの悲しみは、時代を経て「学校に行ける幸せ噛み締めて、行けるんだから行け」となって回収され、その後は「どんなに勉強できなくてもいいから、学校に行くだけは行け」となりました。
「学び」の場ではなく無理ゲーの訓練場
それでも学校に行くのが嫌な子どもは「登校拒否児童」とされ、その原因は「親のしつけ」と「子どものワガママ」だと教員や親に断定され、文部省の調査も「先生になされるアンケート」によるもので、子どもの声の聞き取りなど、この調査には含まれていませんでした。子どもは「教育(成形)の対象」であり、「行くのが前提」の時代です。
しかし、6歳から18歳までの未成熟な人間を、彼らの希望も聞かずに勝手に40人ぐらいの教室に放り込み、同じことを同じ工程で同じ時間で身につけさせるという、養豚場のようなことを150年やって来て、もう「それは学びじゃなくて無理ゲーの訓練だよ」とされつつあります。
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