阪神甲子園駅、人知れず残る「路面電車」の痕跡 球場のそばを南北に走っていた「甲子園線」

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ここで困ったのが、甲子園線の処遇だ。甲子園線は沿線住民の利用が多く、日中でも12分間隔で運行されていた。収支も悪くはなく、積極的に廃止する理由は皆無である。

だが、甲子園線を走る車両は国道線と共通であり、その車庫は国道線側にあった。国道線が廃止となれば、甲子園線の車両が車庫に出入りできなくなってしまう。さすがに、車庫を新設してまで甲子園線を残すという結論には至らず、甲子園線は国道線と運命を共にすることとなったのである。

同様の理由で野田―天神橋筋六丁目間を走っていた北大阪線も廃止された。

甲子園線の痕跡も

かくして廃止された甲子園線だが、今もその痕跡がわずかに見られる。その1つが、架線柱の跡。球場近くの道沿いに土台や根元が残っている。

甲子園線 架線柱の跡
枝川を埋め立ててできた甲子園筋。50年前まで走っていた路面電車の遺構が残る(撮影:伊原薫)
阪神高速道路の橋桁 甲子園線の痕跡
阪神高速道路の橋桁に残る甲子園線の架線を吊るしていた金具の跡(撮影:伊原薫)

また、立体交差する阪神高速道路の橋桁には架線を吊り下げていた金具が現存。知らなければ気づかないレベルだが、ここが電車道であった証拠だ。2010年代には駅の大規模リニューアルも行われ、周辺の雰囲気も一変したが、これらの遺構が地域の歴史をひっそりと伝えてくれる。

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伊原 薫 鉄道ライター

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いはら かおる / Kaoru Ihara

大阪府生まれ。京都大学交通政策研究ユニット・都市交通政策技術者。大阪在住の鉄道ライターとして、鉄道雑誌やWebなどで幅広く執筆するほか、講演やテレビ出演・監修なども行う。

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