「3浪で公立大合格」ようやく気づいた学ぶ楽しさ 進学先の大学に合わず、再度受験を決意した

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「時刻表から知識を得ていた子どもだったようで、小学校に上がる前には地名を覚えたり、四則演算ができるようになっていたそうです。ほかにも、プール、野球、サッカー、絵画スクールなどたくさん習い事をさせてもらいました」

習い事に対しては「特段嫌なわけではないので、とりあえず通うか」という気持ちで通っていたと語る米村さん。

その背景には、”子どもは小さいうちにさまざまな体験をするのがいい”という教育熱心な母親の考えがあったそうです。

「地方の私立大学出身だった母親は、子どもにはいい学校に行かせたいという思いがあったようでした。そうした考えもあり、小学校受験をして、私立の自由学園の初等部に入りました」

自由学園では成績を競う文化はなく、のびのび過ごしていたと語る米村さん。しかし、小学校3年生のときに人生を変える出来事が起きます。

「小学校2年生くらいから、両親が喧嘩をするようになりました。その時期から父親と僕で話す時間が増えたのですが、父から3年生の末頃に『お母さんと離れて暮らそうと思うんだ、一緒に来ないか』と言われたのです。父に親しみを感じていた僕は『行く』と答えて、和光市から練馬区の大泉学園に引っ越し、父親と2人で住むようになりました」

親の別居で転校し、中学受験を決意

離婚はせず、籍を残したままの「別居」は、米村さんの成人が近くなり、正式に離婚が成立するまで続きました。

「もともと自由学園は母親が入れた学校でしたし、父親はどちらでもよかったようです。僕自身は公立でもいいかなと思って転校したのですが、学校の授業が(前の学校ですでに習っていたところだったため)暇で、難しい内容を扱う塾のコースに入りました。そこがたまたま中学受験のコースだったので、その流れで中学受験をして、神奈川県にある鎌倉学園に合格しました」

こうして鎌倉学園中学校・高等学校に入った米村さん。元々、鉄道好きだったこともあり、鉄道模型を買ってジオラマを作ったり、毎年夏になると青春18きっぷを握りしめて全国を旅行したりと、鉄道研究部の活動に没頭しました。

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