今でこそ祝賀ムードが漂う長野市だが、開業直前まで、ぬぐいきれない不安が市内を覆っていた。「長野新幹線」の名が消えることへの抵抗感。途中駅となるだけでなく、通過駅となることへの懸念――。北陸新幹線の最速タイプ列車「かがやき」がすべて停車することが決まった後も、市民の表情は今ひとつさえなかった。
国鉄の分割民営化以降に建設された「整備新幹線」のうち、長野新幹線は1998年の長野五輪に合わせて、東北新幹線・盛岡以北や九州新幹線より早く開業にこぎ着けた。だが、五輪を目標に高速道路などインフラ整備が一斉に進んだ事情もあり、2004年に筆者が市内を調査した際には、新幹線開業は「長野五輪ストーリーの一つ」と認識されている印象を受けた。市民に大きな恩恵を及ぼしたにもかかわらず、地元の歴史において、主役はあくまで長野五輪であり、長野新幹線開業は脇役といった位置付けだった。
その後も何度か長野市を訪れて調査を継続したが、他の多くの整備新幹線沿線は開業自体を、いわば「100年に1度」の一大イベントと位置付けて必死に活用策を模索していたのに対し、長野市内は、北陸新幹線に対してやや受け身の、困惑混じりの空気が漂っていた。広く長く市民の記憶に残るのは、あくまでも長野五輪――という他地域との温度差。ただ、経済界は強い危機意識を抱き続けていた。
「御開帳」で結束強まる
「とても幸運だったのは、北陸新幹線開業直後の4月5日から5月末まで善光寺の御開帳があったこと」と徳武部長は振り返る。善光寺の本尊「一光三尊(いっこうさんぞん)阿弥陀如来」は僧侶すら目にできない絶対秘仏で、その分身である重要文化財「前立(まえだち)本尊」のみが数え年で7年に1度(暦年では6年に1度)、公開される。
「御開帳を善光寺に請願する長野商工会議所会頭が、『善光寺御開帳奉賛会』の会長を務めている。これまでの御開帳は、いわば商工会議所が主導する形だった。しかし、今回は長野市が『ウエルカム長野2015実行委員会』という歓迎組織を立ち上げ、市と経済界の連携が強まって、地元を挙げての御開帳になった」と徳武部長。現在の加藤久雄市長が、商工会議所会頭から市長に転じた経緯も背景にあったようだ。
市と商工会議所が北陸新幹線沿線でPRを展開しただけでなく、商工会議所としても首都圏などの各商工会議所に交流をあらためて働きかけ、十数都市の会議所の来訪を受けたという。7月末には高岡商工会議所と初のゴルフコンペも開催した。
奉賛会の発表した資料によると、御開帳の参拝者は707万人で前回2009年から34万人増加し、目標の700万人をクリアした。長野県内の経済効果は1,137億3千万円と153億円増えて過去最高となった。中でも、北陸方面からの参拝者が前回の60万人から84万人へと40%も伸び、単純計算すれば、参拝者の増加分の7割を占めている。
今回の御開帳は、市内からの参拝者が前回の53万人から83万人に増えており、これも単純計算すれば、市外からの参拝者の増加は4万人にとどまる。北陸方面からの増加分がなければ、市外からの参拝者は前回を割り込んでいた可能性がある。
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