大阪メトロ野江内代、地味な「難読駅」の誕生秘話 谷町線の開通記念碑が物語る地元の"悲願"

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野江内代駅は、1977年に谷町線が都島駅から守口駅まで延伸した際に開業した。この区間には野江内代、関目高殿、千林大宮、太子橋今市と4駅が並ぶが、なかでも野江内代駅は喜連瓜破駅と双璧をなす、大阪メトロ随一の難読駅名と言ってよい。

野江内代駅 駅名標
野江内代駅の駅名標。同駅から大日方面へ関目高殿、千林大宮、太子橋今市と合成駅名が続く(撮影:伊原薫)

「とくに、読みに『ん』が入るというのが難しいですよね。私もお客様に聞かれたことがあります」と話すのは、同駅の駅長を務める本並康裕さん。

とはいえ、周辺に観光地や大規模商業施設があるわけでもなく、駅を利用するのは地元の人たちが大半。名前について気にすることはほとんどないという。「ただ、難読駅名としてメディアで取り上げられているのを時々目にしますし、その時はちょっと嬉しく思いますね」。

駅長に聞く「どんな街?」

本並さんは東梅田副管区駅長という立場で、谷町線の中崎町―関目高殿間(天神橋筋六丁目駅を除く)を担当している。若者や外国人観光客の多い中崎町駅や周辺にマンションが立ち並ぶ都島駅と違い、ここは“大阪の下町”という言葉を連想させる街並み。梅田エリアから10分弱という立地ながら、どこかのんびりとした雰囲気が漂う。

「顔なじみのお客様も多く、朝夕の挨拶だけでなく、休日に『ちょっと遊びに行ってくるわ』と声を掛けてくれることもあります。私が以前に勤務していた梅田駅などにはない、アットホームな雰囲気がここにはあって、お客様と接する楽しさややりがいを感じています」

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