大阪メトロ野江内代、地味な「難読駅」の誕生秘話 谷町線の開通記念碑が物語る地元の"悲願"

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また、鉄道路線とその上の道路を一体的に整備するという例も全国で見られる。大阪市が建設した地下鉄御堂筋線はその代表例で、もともと幅6m程度の道路だった御堂筋を、地下鉄建設に合わせて幅44mにまで拡幅。大阪市のメインストリートとなり、その沿線は大いに発展した。

ところで、道路は町界となっていることも多く、その下に駅を設ける場合には「駅名をどうするか」がしばしば問題となる。この解決方法にはいろいろあるが、もっとも穏便(?)なのは「両方の地名を合体させる」というものだろう。

Osaka Metro(大阪メトロ)の谷町線は、この“合体駅名”が数多くあることで知られている。最も有名なのは、南側エリアにある喜連瓜破(きれうりわり)駅だろうか。

喜連瓜破と野江内代

難読駅名としても知られる同駅は、喜連2丁目と瓜破2丁目の境界に位置する。一部の列車が始発・終着駅としていることから、列車の行先表示にも出現。駅周辺には「喜連瓜破店」という名の店舗が点在するなど、もはや一つの地名として認識されている。

一方、谷町線の北側エリアには合成駅名が4つ続く区間がある。そのうちもっとも都心寄りに位置するのが、今回紹介する野江内代(のえうちんだい)駅だ。

野江内代駅 大日行き
大日―八尾南間(28.1km)を結ぶ谷町線では22系と30000系が活躍中(撮影:伊原薫)
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